またひとつ、めんどうな日常を終えて。

小学校、中学校、高校、大学。

私の人生には4回の卒業式があるはずだった。

しかし、私には卒業式運がないようで、
結局、小学校と高校の卒業式しか出ていない。

中学校はインフルエンザで出席停止、大学は某感染症の影響もあり今日、出ないことを決めた。


17年間の学生生活(1年間休学したので)の中で、1番学生生活感がなかったのが大学四年生の今年だったなぁと思う。
学校には1度も登校せず、授業は全部オンライン。定期代や昼食代が浮いてよかったと思う一方、人との繋がりもオンライン一辺倒で直接会っていない友人も多い。

卒業旅行も当然ダメで1年早く卒業した友だちとの約束も、そのほかの友だちとの約束も、全部叶わなかった。

卒業式はやるようだが、入構は卒業生のみの制限がかかる。1年早く卒業した友だちと一緒に卒業式(もどき)をやる約束も叶わなかった。

袴は着てみたかったが、ぼっちで参加してもしかたないし。

残念だなと思うけれど、卒業式は出ないことにした。


休学期間を入れて5年間。小学生に次いで長い期間、大学生だった。

大学生になる前は、大学生って大人で、自由で、毎日がキラキラしてると思っていた。
大学生になったらそんな生活を送れるようになる。そんなふうに夢見ていた。

たしかに、大学は自由だった。

中学校高校の時みたいに部活に縛られることはなく、お金も時間もある。ちょっと電車に乗れば、どこにでも行ける。

でも、授業は眠くなるし、レポートはあるし、バイトは億劫な日もある。めんどうな日常はどこにでもついてきて、毎日がなにも嫌なことがなくて楽しくてハッピー!なんてことはなかった。

中学でも、高校でも、大学生になれば最高に楽しいと思ってめんどうなことに耐えてきた。しかし、大学でもめんどうな日常は続いていたのだ。

でも、そんな中で気づいたことがあった。

今までめんどうだと思っていたこれまでの生活も、思い返せば懐かしく、楽しいこともあったなと思い出す。苦しかった思い出は、苦境に立たされた時に私を励ました。めんどうな日常の中で歯を食いしばった思い出は、何年経っても色褪せない。

めんどうだと思っていた日常から離れて初めて、それはめんどうなことだけではなかったことを知った。

今、一旦「大学生」という日常は終わった。

でも、めんどうな日常はまた新しく始まって、それにはいつか終わりがくる。そしてまた、新しい日常が始まる。
めんどうだなと思っても、日常にはめんどう成分以外にも含まれているものがあることを私はもう知っている。

知っているから、昨日と代わり映えしない今日も、明日からまたしばらく続くめんどうな日常もがんばれる気がする。

卒業おめでとう、自分。
大学生というラクそうだけどやっぱりめんどうな日常、おつかれさま。


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