清濁併せ呑む

「清濁併せ呑む」という言葉がある。

清濁併せ呑むとは、善人でも悪人でも、来る者はすべて受け入れる度量の大きさを表すたとえ。(故事ことわざ辞典より)

世の中白黒はっきりしないことは多い。いや、はっきりさせないことが多い、のかもしれない。
完璧な正義なんてないし、正しいことだけが正解な訳ではない。決められた正解はないのだ。


正しさだけでは生きていけない。

中学生の頃、授業の合間の短い休み時間に図書室で本を読んでいて怒られたことがある。昼休みか放課後しか図書室に入ってはいけないというルールだったらしい。開館中という札がかかっていたのに。(後にわかったが、係の人が戻し忘れただけだった)
開館中になっていた札のことを指摘すると、先生はさらにめちゃくちゃ怒った。揚げ足取って!!と。次の授業が始まってもその先生は怒鳴り続けた。

あとからこの先生は「ストレスが溜まってて」と言い訳しながら謝ってきた。こちらからすれば、ストレスなんか知ったこっちゃない。この時学んだのは、正論は下の立場から言っても火に油を注ぐだけだということ。

そして歳を取ればとるほど、年下から言われることを受け入れづらくなっていくんじゃないかと最近気づいた。
正しさにただ真っ直ぐな姿は眩しい。しかし、正しさは脆い。正しい人ではなく、賢しい人が得をする。
それを知ってしまうと、そして生きていくために賢しくなってしまうと、眩しく素直な正しさを受け止められなくなってしまう。

清濁併せ呑んで、それでも自分の正しさを忘れない人でありたい。

でも、あまりにもセコくて、私をバカにしてるようなことしてくると呑めません!あしからず。

題名 「清濁併せ呑む」
このnoteは、この絵を描いてから解説の意味も込めて書きました。
併せ呑むけど、呑めないやつは呑みません。

でも、清濁併せ呑んだ結果どうなるのか…。

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