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2000年の時を超える、歴史学科の引越し。

聖徳太子が好きだった。
それこそ、結婚したいとか思うくらいだった。

日本史の授業が好きだった。
日本史の授業だけを楽しみに学校に通ってたこともあった。

大学生になったら、日本史を専攻すると決めていた。
毎日、日本史の授業だったらどんなに楽しいだろうかとワクワクしていた。

果たして、始まった大学の授業は、ちょっと想像と違っていた。
知識を受け取る高校までの日本史の授業と違って、「研究するための方法」を学び、「研究する」ための授業だった。

わたしは、日本史の知識を得るのが楽しかったのだと気づいた。
研究する方法も、研究することも、あまり興味がなかった。
教科書だけ読んで、本を読んで、楽しいなぁと満足できるレベルだった。

日本史は好きだが、研究することは好きじゃない。
古文書を読んだり、史料を読むことはできるけれど、「好きだから」という気持ちではできない。
「やらなきゃいけないから」という気持ちでないとできない。

これはよく歴史学科がネタにすることだけど、歴史学科で学んだことは就職した時に直接的に役に立つことはほぼない。
資料を作ったり、日本史の知識に詳しくなったりするけど、それを目的に歴史学科に来るならほかに行った方がいいレベルだ。
一般的な企業で古文書を読むこともなければ、漢文を書くこともない。
就職に役立つ資格が取れる訳でもない。

歴史学科は、本当に歴史が、歴史を探究することが大好きな人たちが集う場所なのだ。
歴史学科の本当の醍醐味は、白い目で見られることなく、歴史を研究して研究して研究できることなのだと思う。

そんな夢のような場所で、「やらなきゃいけないから」と研究をイヤイヤするのはもったいないと思った。

研究すること自体を目的にするのは、時間もお金も、わたしの気持ちももったいない。

だから、研究をやらなきゃいけないなら、役に立つことを研究したい。
研究することを目的にするのではなく、研究した結果が目的となるように。

研究が目的ではなく、手段となるように。

このめとして活動する中で、日本がどのように発展して、今があるのかを自分はあまりにも知らなすぎると痛感した。
この国の政治のことも、経済のことも。

そして、自分の地元のことも。
先人たちがどんな苦労をして、どんな失敗をして今があるのか。

どのような流れで今があるのか、それを知らないうちは改善も意見もできない。
少子高齢化、過疎化、一極集中、問題はたくさんあるけど、それらがどのような過去があって起きた問題なのか。
体系的に知りたい。

そして、過去の事例を参考にしながら、解決する方法を探ってみたい。



大学4年になって、専攻する時代を変える人はなかなかいないらしい。
わたしはたぶん、一昨年まで専攻していた日本古代史から近現代史まで飛ぶから軽く2000年も違う。

ゼミも3年生から始まっているし、わたしは1年生の時から古代史研究会に入っていたからもうすっかり古代史沼の住人だった。
知り合いもいるし、先生にもお世話になったし、離れるのは少し不安だけど、

せっかくの環境、最後の学生生活。

自分が思う最高の過ごし方をしたい。

一度レールから飛び出してしまうと、レールなんてあるようでなかったことに気づく。
1年前じゃ絶対に決断できなかったことを決断することができた。

さようなら、古代史。
でもたぶん、ずっと好きだよ。

ゼミと専攻する時代、変えます。

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