いい大学に進学してさっさと卒業して就職すれば人生ハッピーでしょ?みたいな教育、いつまでするつもりなんですか
新潟の片田舎で育った私の世界は、とてもせまかった。
こんなつまらないド田舎、さっさと出ていってやると常々そう思っていた。
市内に高校は4校、電車を使えばいける高校は増えるがその選択肢はたかが知れている。
近隣では1番偏差値の高かった、とはいえ偏差値50程度の高校に進学した。
高校は楽しかった。
バイト禁止だったので、学校と家を往復し続ける3年間だった。それでも、毎日部活してそれなりに青春して楽しんだ。
高校の先生たちも、いい先生たちだった。
進学の相談には熱心にのってくれたし、授業は面白かった。
誰もが「この高校」に誇りをもっていた気がする。伝統があって、文武両道で、この辺では一番進学率が高くて。
「〇高生として、恥ずかしくない行動をしなさい」それが先生たちの口ぐせだった。
でも、私も友だちも先生たちでさえも、「高校」という狭い世界で生きていただけだったのだ。
大学受験の志望校を決める頃になって、私は先生たちに不信感を抱き始めた。
国公立大学の合格者数に異様にこだわる先生たち。
私は私立大学に進学したくて、親も私立でいいよって言ってくれた。それでもなお国公立大学受験を勧めてくる。
私の意思よりも、国公立大学への進学率が大事なのか?
ここなら入れるよって地方の国公立大学を勧めてくるけど、そこまでして国公立大学にこだわる必要ある?
国公立大学に進学することで私になんのメリットがあるのか、説明してほしい。
先生たちには学費なんて関係ないでしょう。だからそれ以外の理由があるんでしょう。
なのに、なんで理由は説明してくれないの。
結局、先生たちの説得から逃げるように東京の私立大学を受験して合格した。
大学に進学して驚いた。
バイト先の高校生は驚くほど大人びている。高校生のうちから企業のインターンシップに参加している人がいる。有名大学には付属の高校があって、エスカレーター式で進学できる人がいる。高校は選ぶのを迷うほど種類がある。高校生のうちから留学に行く人がいる。
海外に進学している人がいる。
進路の選択肢も、外界と繋がれる機会も桁違いだった。
母校を想った。
高校という地域から閉じた世界で、国公立大学の合格者数とか〇高生としての誇りにこだわって、世間の流れから取り残されている我が母校を。
都会と田舎の教育環境の不平等さ、選択肢の格差を嘆いていてもしかたない。
それでも、片田舎の高校生たちにも学校と家以外の外界との接点は必要だ。
同程度の偏差値の子たちが集まる高校で教えられる画一化された価値観だけではなく、もっと様々な価値観が存在しているのが社会であることを大学生になって身をもって知った。
もっと早く知りたかった、と思った。
できれば、地元にいた頃に。そうしたら、地元の印象も少しは変わったかもしれないのに。
だからこそ、まだ地元にいる高校生たちと地域との接点を作りたい。
そう思った私は休学して地元に帰り、母校の高校生と地域の人たちが関われる場作りをしようと試みた。
母校に挨拶に行きイベントのポスターを配り、高校生にぜひ参加の声掛けを願いたいと。
高校生の頃何度もいった進路指導室で、進路指導の先生に何度も説明した。
届かなかった。ポスターは校内に貼ってくれたものの、参加してくれた生徒はいない。
「こんなイベントに参加をしてどうなるの、大学に合格できる訳じゃあるまいし。」
なんて言われたりした。
しまいには、
「休学してこんなとこで遊んでなんかいないで、早く卒業して就職しなさい」
とまで言われた。
数年前まで、私はあなたたちの学校で高校生をしてたんですよ。
大学に進学してから、自分たちの見ていた世界、いや見せられていた世界のあまりの小ささに愕然としたんです。
大学に進学できたら、それで人生全て上手くいくとお思いですか。
そのあとどうするかが大切なんじゃないですか。
大学に進学することがゴールで、その後はさっさと卒業して就職すれば人生ハッピーでしょ?みたいな教育、いつまでするつもりなんですか。
なにも知らない籠の中の鳥を量産するのはもうやめにしませんか。
その鳥たちは、この変わりゆく世界での変わり方がわからずに、今にも落ちそうなんですよ。
私たちは落ちないようになんとかもがいて、今ここにいるんです。
あれから一年半。
私は地元企業に就職を決めた。母校とも関わることができる職種だ。
私は諦めない。
母校は変わらなければならない。そうしないとこれからの時代、生き残れないだろう。子どもは減っているのだから。高校は選ぶのではなく、選ばれる時代になる。
変わり方がわからずに落ちていく子たちを、母校を、なんとしても救いたい。そう思っている。
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