お手紙

白ヤギさんからお手紙ついた。





中には
「サインして送り返してください」
と書かれた手紙と離婚届が一枚。

別居してから3ヶ月。
特に驚きはしなかった。
ついにきたかという感じだ。

この3ヶ月、いろいろなことを思い出していた。

初デートで一つ向こうの山まで草を食べに行ったこと。
蹄を叩いて笑ったこと。
初めてツノとツノが触れ合ったこと。
夜景の見える草原でプロポーズしたこと。
役所に婚姻届を出した日のこと。

不思議なことにその時期のことはいまだに鮮明に覚えている。
全く褪せることなく。

ここ何年かの記憶の方が薄く感じる。
それほど意識せずに生きているということなのだろうか。
彼女を近くにいる生命体としか思っていなかったのかもしれない。

特にきっかけがあるわけではない。
気づけば会話は減り、一緒に草を食む機会も減り、背中を向けて寝るようになった。
いつしか彼女をメスとして意識しなくなった。
それを言い訳にするのもおかしな話だが。

タバコに火をつける。
六畳一間の何もない部屋で日がな手紙を見つめていた。
見つめるだけで何もことを進めない。
こういったところに彼女は愛想を尽かしたのだろうか。
否、ただ単純に俺が大切に扱わなかっただけなのだろう。

昔は、誕生日、記念日、ことごとく祝ってきた。
とにかく彼女の喜ぶ顔が見たかった。
柄にもなくサプライズなんかもした。
HAPPY BIRTHDAYの風船を部屋に飾ったこともある。
歳を重ねるにつれそういったことはしなくなっていった。
それ自体は当たり前のことだと思う。
いつまでも若さに身を任せたことはできない。
しかし、いつしか誕生日や記念日だということすら忘れていった。
最初のうちこそ怒られたものの、早い段階で怒られることは無くなった。

失ってから気づくものがあるというのはよく言われることである。
別居を告げられた時は、やはり驚きはせず、ついにかと思っただけだ。
しかし、空虚な部屋でただぼーっとするだけの時間が増えるとそれなりに喪失感はあった。
毎日同じ思考の繰り返しである。
「俺は何をしてやれたのか」
それだけだ。
結婚なんてあくまで他ヤギ同士の紙上の契約に過ぎない。
片方が努力を怠れば当然関係は破綻する。
考えればすぐわかることなのに思考を放棄してしまっていた。
後悔したって、後悔するに値しない生き方しかしていないのだから意味がないのだと思う。

最後のタバコに火をつける。
黄ばんだ壁に焦点を合わせ煙を吐く。
立ち上がってペンと紙を取りに行った。

手紙を書いた。




「すまん。間違えて読まずに食べた。さっきの手紙の用事は何?」




離婚届を引き出しにしまった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?