日本の司法界は「不法の番人」として政治に媚びる従属品


日本の最高裁は法の番人などではない。ほぼ法の論理を無視した、行き当たりばったりの滅茶苦茶な組織である。故に、政治(宗主国のご意向)に都合のいいデタラメ判決を出す為の追認組織でしかない。

この傾向が顕著になったのは、特にリーマンショック以降の09年頃からである。イカサマ霞が関のクズ官僚が跋扈するようになってから、腐敗は悪化しただろう。

アメリカ合衆国の連邦最高裁判所を少しは見習え、と言いたい。なんなら、爪の垢でも煎じて飲めばよいのだ。日本の裁判所には、司法の誇りなど微塵もない。そういう伍等国なんですよ、日本は。


好評だった朝ドラ『虎に翼』が終了してしまったが、このドラマを通じて日本の法治国家としてどうなのか、国民自身が振り返る機会を作ってくれたと感じた。最終回で虎ちゃんは「法は船のようなもの」かもしれない、と言っていた。乗り手が悪ければ沈んでしまう、とも。

序盤では、「法とは盾のようなもの」と話していたと思うが、その当方も感じたことがあるので印象に残った。


14年当時に書いていた。


国民を守る唯一の盾、それが法なんだぞ。
法廷で、法の下に、ぶちのめさない限り、勝てないんだよ。』


ただ、いくら法廷闘争に持ち込んだとしても、裁判官が腐敗組織の一員である限り、「法の論理」なんぞ簡単に踏み躙られ、植民地支配をしているDeepState勢にとって好都合の判決が出されるだけなのだ。


そのことも、以前から指摘したのだが、日本人の多くはそういうことへの「無関心」を続けてきたのである。



昨日、静岡地裁において袴田事件の無罪判決が出されたが、捜査機関(警察・検察)による証拠捏造などは古くから行われてきたものだということだ。その汚点を何が何でも隠蔽し続けようとするのが、裁判所や検察なのである。過去の裁判記録や調書・証拠類などを破棄するのも、事後検証を行われると矛盾点を穿り返されたり捏造が発覚することを恐れるからである。

組織防衛や個人の出世栄達など諸々の要因はあれど、信頼に値しない組織、それが最高裁判所を頂点とする司法界、起訴権限を支配して悪用する検察という準司法的機関なのだ。



検察と同類の法務省(殊に訟務局)にしても、ほぼ腐敗組織の一員として無法と「法規範」や「法の論理」の破壊に加担しているのである。




また、政治側からの「裁判官への締め付け」として一罰百戒を越えて、手続論的にも判決内容的にも異常な、分限裁判や弾劾裁判を行うような、無法国家であることを実証したばかりなのだ。



こうした無法、違法な裁判所や政治権力がのうのうと過ごしていられるのは、偏に日本国民の「法治主義」「法規範」への無関心・無理解のせいなのである。

まず日本人に必要なのは、憲法改正云々以前に、「法」(規範)というものへの理解を深めることである。その意義や役割について建前や教科書の中の話ではなくて、現実世界の実践知として身に沁み込ませるべきなのだ。


日本人は、コロナ禍で見られたような、法に基づかない「マスク強要」や「ワクチン接種の強要」を社会の空気感によって、いくらでも無法・違法行為を平然と正当化する。魔女狩り気質の民衆裁判・人治主義による人権侵害を素で実現するような、法を無視し法治主義に相反する傾向がある。




このような日本という国においては、まず法とは何か、法や法治主義というものの考え方を骨身に沁みて理解できないと、いつまで経っても同じく空気支配が続けられるであろう。
それを助長してきたのは、最高裁でありマスコミであり、従米派政府霞が関なのである。煽動情報で罰することをよしとしてきた、日本人の悪しき伝統とも言える。

これを少しでも改善しないと、法だの憲法だのといくら言ってみても、狂ったような法規範無視の輩が煽動するマスコミ・ネット支配には対抗できないだろう。


ドラマや映画などを通じて、日本人にも法治主義や憲法が根付くようになってくれば、少しずつでも前進してゆくのかもしれない。

袴田事件のように、約60年もの間、全裁判所・検察といった司法権力と戦い続けてきた人々がおられたことを思えば、現状の司法界に失望ばかりしていては申し訳が立たない。

当方はネット界の塵でしかなくとも、悪を悪と言い、違法を違法と指摘する、そういう活動を少しでも続けようと思う。


法とは何か。

盾でもあり、反撃の武器でもある。人類の叡智でもあり、時に宗教化したりもする。
悪法が大勢の人々を傷つけ、自由や健康・命を奪う。善悪の対立でもあり、調和でもある。

まだよく分からないが、連綿と「法による戦い方」を伝えてきた先人が大勢いたことは確かで、弱い存在が強大な権力に対抗できる唯一の手段が法なのだと思っている。




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