フィッシュマンズの歌詞
海外の音楽を歌詞を十分に理解できずに聴いていたことのほうが多かったのは、日本語の歌詞はあまりにも意味が強く入ってきすぎて、受けいれられない歌詞が多かったからかもしれない。例えば宇多田ヒカルは好きだが、ときに彼女の歌詞はあまりにもつらい。まあ、その他大勢のまったく気に入らない歌詞の歌より全然いいんだけど。一番好きな歌詞を書くのは、フィッシュマンズ佐藤伸治だ。フィッシュマンズは近年欧米で再評価されているそうだが、歌詞はどの程度理解され伝わっているのだろうか?
まず、「四つ階段を駆け上がって。」この躍動感。軽快さ。浮かび上がるマンションかアパートの階段を駆け上がる光景。おそらく身体が弱い君の眠たそうな空気。調子がよければいいね。君に逢える、それだけで陽気に浮かび上がる心。いまはこんなだけど、あと10年もたてば何でもできそうな気がする。でも、ただ浮かれ続けてはいられない。そんなのウソだって本当はわかってるから。「僕は、いつまでも、何も、できないだろう。」そう歌われた言葉にはっとさせられる。
佐藤伸治の書く詩では、彼女はだいたい眠っていて、眠っている顔が一番好きで。東京地方は大雨で。なにかに夢中になって暮らしていて。彼女だけが知ってる笑顔があればそれでよくて。もう知識はいらなくて。未来は明るいといいきかせてて。二人ぼっちで。夕日はおれんじのまんまるで。半分夢の中で、いつでも音楽がなってる。そういう世界だからレゲエのリズムで、あのやさしい声で、最高の演奏で奏でられる。かなしいんだけどやさしい。まともであれば世界は悲しい。佐藤伸治はまともだったからずっと悲しかった。それであまりにもまともだったので、いなくなってしまった。こんな歌詞を書ける人はもうでてこないだろう。
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