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「ふつうの相談」だった。

※個人情報に配慮してお届けします。


東畑開人さんの「ふつうの相談」を読んでいる。ソーシャルワーカーが担っている日々の相談の大切さが改めて書かれていて、嬉しい。


定期的に相談の予約を入れてくれる方がいる。3ヶ月に一度くらいのペースで私たちは話している。もう1年以上やりとりが続いている。


その人は、ただただ、最近あった出来事を話してくれる。それが何とも話し上手で、面白い。オチまでしっかりしていて、笑わずには聞けないくらい面白い。私は毎回、ゲラゲラ笑いながら話を聞いて終わる。


同僚との会話、家族との旅行、友人との飲み会、子育て、同窓会にBBQ、こどもの卒業式。話を伺っていると、その人は人生をとても楽しんでいるように感じる。



どうしてこの人は予約を入れるのだろう?と時々思う。最初の頃は、困っていることや不安なことがあるのではないかと問いかけたこともあった。その人は「定期的な振り返りを話しながらできるといいですね」とニコニコ答えてくれる。そして、また面白い話を続ける。私も「野暮な質問しちゃったなぁ」と反省して、また話を聞きながらゲラゲラ笑う。


だけどつい先日、相談時間の最後にその人が言った。


「話を聞いてもらうことで、生きることを続けられています」


私はびっくりした。そうか、この人は「生きること」をするために私に話をしていたんだ。私はずっと相談を聞いていたんだ。そのことを頭のどこかでわかっていたような気がしながらも、衝撃だった。


その人との相談時間が終わった後、「私が理解していない間に取りこぼさなくて(その人にとって不利益になることにならなくて)良かった…」と足が震えた。


そんな出来事があった後に読んだ「ふつうの相談」は、心に染みた。ソーシャルワーカーは、「ふつうの相談」から始まる。「ふつうの相談」をアセスメントして、情報提供し、サービスにつなぐ。緊急性の高いものはすぐに。時間をかける必要があるものはゆっくりと。


サービスにつなぐことがなくても、大きな意味を持つ相談もたくさんある。ゆっくりと時間をかける「ふつうの相談」は、大きな大きな意味を持つ。


私は、「ふつうの相談」を受けている。ソーシャルワーカーとして受けている。私のもとへやって来る「ふつうの相談」は、大きな大きな意味を持つ。


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対話のカケラ(マガジン)

ハマダユイ
ソーシャルワーカー11年目。大学教員をやりながら、相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。


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