苦手な人は良き「練習相手」になる
いつでもどこでも、苦手な人は現れる。「あの人と合わないから…」と場所を変えても、結局同じような人が現れる。そしていつでも、自分は同じようなことで悩んでいる。
そんな経験はないだろうか。
周りの人も環境も違うのに、いつも同じような人に悩まされる。「あ〜あ、あの人さえいなければ、この職場(学校)は完璧なのに!」「あ〜あ、あの人が変わってくれたら!自分がおかしいと気づいてくれたら!」と思ってしまう。
それは同時に、自分が同じことでつまづいているということでもある。自分がいつも困ることを書き出してみると、共通点はないだろうか。
人に断ることができない。
高圧的な人についペコペコしてしまう。
相手の機嫌を伺ってしまう。
自分がダメだと思ってしまう。
自分の意見をうまく伝えられない。
一人でいることができない。
そんな自分に、まるで練習するチャンスをくれるかのように、いろんな相手が現れる。
高圧的な人。
全然大事にしてくれない人。
いつも怒ってくる人。
否定してくる人。
すぐ不機嫌になる人。
こちらの意見を聞かない人。
コントロールしてこようとする人。
束縛してくる人。
これは相手が問題なのではなくて、自分の課題だと考えてみたらどうだろう。
もし自分の意見をきっぱり伝えられたら。
失礼な人にきちんと対応できたら。
機嫌が悪い人を放っておくことができたら。
相手が怒っていても冷静に話し合いができたら。
一人の時間を大切にできたら。
コントロールしようとする人から離れられたら。
ちゃんと断ることができたら。
最初の「苦手な人」と、どのような関係がつくれるだろうか。「大切にされない私」「いつも怒られている私」「話を聞いてもらえない私」は、どうなっていくだろうか。
「苦手な人は良き練習相手である」のススメ
そこで、苦手な人は良き「練習相手」として見てみよう〜という話をよくしている。
毎回現れる、「頼み事が多い人」「お金貸して〜って言ってくる人」にいつもビクビクしているのであれば、彼らを相手に断る練習を始める。
毎回現れる、「すぐ怒る人」「なんでも否定してくる人」に辟易しているなら、ちゃんと自分の意見を伝える練習や、話し合いをする練習を始める。
最初はうまくいかないかもしれない。もっと怒らせたり、嫌なことを言われたりするかもしれない。傷ついて、泣きたくなって、やっぱり変な頼み事を引き受けてしまったり、否定されてメソメソ帰ることになるかもしれない。
それが練習なのである。結局また同じような場面が出てくるので、そこで再度練習をする。練習して、振り返りをして、また練習する。
そうすると、だんだん上手に断れるようになったり、嫌な人と上手に距離をとれるようになったり、相手が怒っていても冷静に意見を伝えられたりするようになってくる。
そこで練習が一つ終わる。そうすると、相手になんだか感謝の気持ちが湧いてくる。「良き練習相手になってくれて、ありがとうございました」と心の中で唱えて練習を終わりにする。
一つの練習が終わっても、自分の課題があればあるほど、周りは練習相手で溢れている。また困ることがあれば、そこで練習が始まる。
私はこの練習にお付き合いすることが多い。「こんな人が現れた!」という相談をもらえば、一緒に作戦会議をして練習を開始する。練習が共通言語になった相談者さんからは「本日の練習レポート」をもらったりする。笑
練習を続けていくと、だんだんと練習相手が少なくなってくる。同じような人に出会っても、自分の力で対処できるようになるので、困らなくなってくる。
練習は誰か相談できる人がいるとはかどるけど、自分ひとりでもできる。「いざ、練習だ!」と思えばそこから練習が始まる。
目の前の苦手な人を、ぜひ「練習相手」として見てみてほしい。敬意をもって、感謝をもって、彼らを乗り越えていけますように。
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ハマダユイ
ソーシャルワーカー11年目。大学教員をやりながら相談室バオバブで個別相談を受けている。精神疾患にまつわる悩み事、家族のこと、人間関係のこと、仕事のこと…。いろんな人と一緒に作戦会議を開く毎日。
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