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選択権はある

子供を育てる上で『比べない』ってことをよく聞きます。
兄弟間で比べない。
他の子と比べない。

でもどうしても自分の幼少期と比べてしまうことってあります。
親子なのになんでこんなに違うかな~と思うことって結構あります。

例えば私は人の顔色を伺って要領良い優等生タイプでした。授業中は積極的に手をあげる、自主学習は多くやる、係や委員会も目立つ役回りを引き受けるタイプ。

子供たちはそれはそれはマイペースです。人の評価も喜んで受けますが、それよりも自分がどうしたいのかを大事にしているようです。
学校からの評価も“主体的に取り組む姿勢”とかがイマイチ。悪くはないんだけど目立たないから評価されにくい。

授業参観で手を挙げないので理由を聞いたら「他の子の答えがおもしろくってメモするので手いっぱいだった」と。
私からすると「なんで?もっとわかりやすくアピールしないの?もったいない!」って思う反面、少しいいなーとも思っています。
だって他人の評価とは別に自分なりに授業を楽しんでいたんです。

少しは評価も気にしておくれと思ったりしなくもないのですが、ちょっとうらやましくもあります。

私が子供の時はいつだってやらなきゃいけない。認められなきゃいけない。って思ってた気がします。
「やりたくないからやらない」って子供の時に言えたかな?って。「好きだからこれがいい」っていうものがあったかな?って。

私が子供のころはたくさんおでかけをしました。
毎年3回以上は旅行に行っていたし、休日も朝起こされて急に海だの公園だのに連れていかれることも多かった。だけど、行くとか行かないとか選択の余地はなかったんです。「行くよ」と言われれば行くのです。

最近、夫と2人で1,2時間の散歩や買い物に行くことが増えました。
そんなとき子供は自分たちで行くか行かないかを選択します。
最初は「子供を置いて出かけるなんて…」と思っていたのですが、年齢的にも安全と連絡手段を確保すれば短時間なら自由にしていいんだとこちらも思えてきました。

子供にも選択権があるんです。当たり前なんですけど。
親って子供を守る名目で必要以上に選択肢を与えないことがあるなって、思いました。


先日、上の子に「言っても聞いてくれない(聞き入れてくれない)」と言われました。それはギョッとしました。そう思い込ませている私がいたのかと反省。
だけど、そう思い込んで言わなかったのはどうなの?という話もして。(状況的に“売り言葉に買い言葉”で言ったのがわかっていました)
そのあと、自分がどうしたいかを話してくれて「やっぱり言ってみたほうがいいってわかった」と言っていました。
全ては叶えられないけど、話し合いはできるよね、って。

私も子供の時に、選択権がないと思い込んでいたけど「いやだ」と言えばよかったのかもしれない。その選択肢があるんだよ、言ってもいいんだよってことを子供に伝えられたのはいい機会だったと思いました。

子育てについてはいろいろ悩んでばかりですが、少しは自分にマルをつけてあげられることも出てきたようです。

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