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たわわに実る稲穂色のユーモラスな天使。 猫は茶トラ。どこまでも茶トラびいき

 猫は、特に茶トラが可愛らしい。ちびに、おししに、ふわちゃん。茶トラしか飼ったことがないけれど、私はもう、茶トラだけでいい。茶トラはとにかく人懐こい。人に対してだけではない。茶トラは自分が生きる世界のすべてに対して懐っこい。コミュニケーションの星の下に生まれた、好奇心旺盛なチャレンジャーであり、不用心で隙だらけだ。

 太った野良猫の多くは茶トラだ。好きなだけ食べて巨大化する。冒険好きな茶トラはどこへでも行く。茶トラの雄はよくいなくなる。どこをどう歩いたら、それだけ汚れるのだ、と閉口するくらい、全身泥だらけで、ニャーと、近づいてきたりする。嫌がられることなど考えてもいない。茶トラは汚れが目立ちにくい。一見、きれいそうな野良の茶トラを抱いたら、一日服がドブ臭いなんてこともある。

 茶トラの野良は、やたら友達を連れてくる。こちらの経済状況などお構いなしだ。そして、そのまま縄張りを取られたりもする。間抜けだ。どう見ても雄の茶トラが、毛色の違う子猫にまとわりつかれている光景など、とても微笑ましいし、どうしてそうなるのか、お乳を吸わせていたりもする。実際、老猫だったおししは、すっかり乳離れしているはずのふわちゃんにお乳を吸われて、アヘーと、変態な顔をしていた。また、よく食べ成長が早い分、仲間の中でも、アニキな感じになるのだろう。ニャロメがべしやケムンパスを連れているように、お供の猫を連れていたりする。そして、アニキなのにケンカはあまり強くない。そんなトホホなところも茶トラの魅力だ。

 茶トラは表情豊かである。たいていの茶トラは頭にМ字が入っていて、このМが茶トラの表情を、時に困ったように、時に怒ったように、そしてごくまれに思慮深く見せ、見る者を惹きつける。目の色は黄色かオリーブ、時に金色で、ブルーやグリーンなど魅惑的な色をしているわけではないが、可愛らしく、よく語る。例えば路地裏にたむろする猫の集団。そこで、ひときわ目立つ茶トラ猫。つい触れたくなる、暖かなオレンジ色。夕日にあたった時などは金色に輝き、それはまるで稲穂のようなのだ。茶トラを豊作のシンボルとして、秋の収穫時に祀り上げてはどうかと思う。

 のんきで、不用心で、でも、たまに見せる何もかも知ったような表情。私は、茶トラは実は人間の生まれ変わりなのではないかと思う。大らかな笑いのセンスを持った粋人が、茶トラ猫という、ユーモアのかたまりのような、素晴らしく可愛らしい姿を選んで、この世に仮住まっている気がしてならない。





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