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COVID-19が我が家を襲った日

私は感染しなかった、けど

月曜日の朝6時。私は2時に就寝したので、いつものように息子と海岸に行こうと朝起こす。いつもスッと起きる息子が起きない。
しばらくして「頭がいたい・・・」。触ると、普段より熱い。おかしい。
すぐに起こして、隔離。そしてクリニックでCOVID-19 PCRを行い、陽性。
月曜朝6時30分、そこからの1週間。

結果として、私と妻は感染しなかった。月曜日から土曜日までPCRを毎日行い、全て陰性。自覚症状もなく、体調も悪くなく、何もない。でも濃厚接触者というレッテルを貼られることにより、一瞬で生活が変化した。

目の前の家に帰れない

まず、家に帰らないようにした。子どもは2Fに隔離しているものの、可能な限りリスクを減らすためだ。妻は自宅で過ごしたものの、感染対策を徹底した。
で、私が今もいるのはきいれ浜田クリニックの2F,院長室。元々広くない院長室には寝心地の悪いソファベッドがあった。使う予定もなかったので、特にこだわらなかったのがいけなかった。

・・・寝れない。ベッドが硬い、狭い、枕が合わない。でも、今更家から持ってくるのも感染対策として間違っている気がするので持って来れない。

2日たち、3日経ったところで両肩の痛みが出てきた。おそらくベッドで縮こまるようにして寝ているからだろう。痛み止めを使うと熱発などがわからなくなるだろうと予想して使わなかった。

家は目の前にある。でも帰れない。一番辛かったのは子どもたち。
「会いたいよ」「さみしいよ」そんな言葉を聞くだけで、心が裂けそうになる。ああ、もうなんだかコロナなんてどうでもいいから感染対策なんかやめて家に帰りたい。子どもたちをギュッと抱きしめて、怖かったね、辛かったね、大丈夫だよ、と声をかけたい。でも出来ない。 私は医師だ。私がここで感染するわけにはいかない、と自分に言い聞かせた。

辛いけど、パパも大変なんだよね。 と、しばらくして悟ったようにして子どもたちは静かに待ってくれるようになった。そういう姿を見るのも、辛かった。 

軽症なんでしょ?

幸い軽症で、特に問題もなかった子どもたち。「コロナはほとんど軽症だから大丈夫」そうそう、私も外来でそう言う時もあった。妻もそう言っていた。「そんなに心配しなくていいんじゃないの?」

でも、私は父であり、医師であるからこそ、最悪を考えた。子どもが亡くなるケースを何度も聞いている私にとって、コロナ感染は死を考えるに値する経験であり、恐怖だった。「別に問題ないから大丈夫だよ」と子どもには言いつつ、数時間おきに体調確認の連絡をした。心配具合は伝わっていたと思う。
最悪に備え、最善を祈る。それが医師だから。

汚いのに汚くない問題

今まで、私は医師としてCOVID-19 の対応をしてきた。外来で診断した数は1000人は優に超えるだろう。施設クラスターも1人で色々な施設に乗り込み、対応をした。コロナ感染した在宅患者のところへも、深夜であっても往診をし、点滴をした。それでも、私は2年以上感染していない。

それは一般的な感染対策「感染防護策」を行なっているからだ。医療者は「清潔」「不潔」の感覚を最初の時期に叩き込まれる。結核病棟にも勤務をしていたのでN95の装着も、防護服も慣れていた。目に見えない汚いものへの対策はしっかりしていれば、よっぽど感染しない。

「あれ・・・汚くない」
ただ、自分の家族となると思いっきりバイアスがかかった。COVID-19が蔓延している家が汚く感じないのだ。油断すると、マスクを外し、普通に生活をしてしまいそうになる。普通に話してしまいそうになる。その感覚があったからこそ、家では私は無理だと思いクリニックに居候することとしたのだ。

そもそも、家族を汚いものとして考えようとしても、出来ない。子どもは尚更だと思う。距離を置くしかなかった。
汚いのに汚くない。これは私にとって大問題であった。

濃厚接触は休み、ではない

普通は濃厚接触者となったら休みである。勤務しなくて良い(というか、来てはいけない)。

ただ、私は違った。一瞬も休めないどころか、普段より忙しく働くこととなった。

リスク回避のために、私は外来をリモートでできるように調整をしていた。電子カルテも遠隔操作しつつ、Zoomで診察室を繋ぎ、トランシーバーやPHSでスタッフと連携し患者さんを誘導。採血検査や画像検査、診察など一般的なことは全て行うことができた。
昼休憩もなく、業者の面会や会議、打ち合わせ、在宅調整などで奔走した。今考えると、普通の外来より忙しかった。でも、90を超える認知症の方ですらリモートで対応できたことを考えると、今後はリモートでうまくいくような実感を得た。

それもこれも、スタッフが強力にサポートをしてくれたことがもちろん一番大きい。患者さんの誘導や案内、説明などもきっと私の知らないところで工夫しながらしてくれたことだと思う。感謝しかない・・・

さらに、こんなサポートをしてくれるスタッフもいた。「院長の椅子が寂しかったので置いておきました」と

よだれ出てますがな

これは誰からも突っ込まれることがなかった。かなりツッコミどころが多かったと思うが・・

飾り切りに泣く

話は変わるが、当院の食事は本当に美味しい。どれぐらい美味しいかというと、どの病院から転院してきた方も「ここのご飯が美味しい!」と言い食事摂取量が増えるぐらいだ。 面倒なものも出来合いを使わず、手作りにこだわる。今の働き方改革から逆行するようであるが、でも、ご飯が美味しいって一番病院として大事なところだと思う。

そんな中で、私はクリニックにおこもりしているので、毎日クリニックの食事を食べている。もちろん美味しいし、だからこそ体調も悪くならず過ごせていると思う。栄養課には感謝しかない。 

でも、辛い。 美味しいけど、違う。 何かが違う。なんだろう? と3日目ぐらいに考えた。 美味しいんだけど、味気ない。

それって、やっぱり誰かと食べる食事。妻が作ってくれる食事。子どもと、今日あった楽しかったこと、嫌だったことをワイワイ話しながら食べる食事。  

入院している方々に想いを馳せた。 ああ、やっぱり入院は嫌だ、ってこういうことなのかもしれない。 美味しいご飯があればいいのか? いや、それは違う。なんならご飯は美味しくなくてもいい。 好きな人と共に、過ごせる場所。自分が思うようにできる場所。それが大事なんじゃないか。だから、みんな「家に帰りたい」という・・ 叶えられる人もいれば、叶えられないひともいるが。

そんなことを頭の中で考えながら、木曜日、いつものように夜のお弁当を受け取り、1人で食べようとしたその時、お弁当に見慣れないものが入っていた。

みかんの飾り切り。器用!
彩りも良くて、食欲が出るお弁当に助けられた

飾り切り。
今思うと、たいしたことがないささやかな飾り切り。
でも、その時には厨房スタッフからの言語化されないメッセージを受け取った気がして、ホロリと涙がでた。

「ちょっとでも元気がでればと思って、すいません」
声をかけたら、とっても謙遜されてしまった。まさか、飾り切りでこんなに励まされ、勇気づけられ、「もう少し頑張るぞ!」と思うことになるとは思わなかった。 
積極的なサポートでなくても、「気にかけている」というメッセージ。このような苦しみがなかったら、気付くことがなかったのかもしれない。

苦しみから、支えに気付く

今回の私のこの苦しみは、きっと誰にもわかってもらえない。今まで、この喜入地域のコロナ対策を考え、他の事業所と協力をし、発熱外来を行い、ワクチン事業の希望があればその対応をした。でもなんだか、1人で走り続けているような気がしていた。

濃厚接触になり、家に帰れなくなり、今も現在進行形で苦しいわけであるけど、でも、苦しいからこそ、気付くことも多かった。

家族の場所がいかに自分にとって大事なのか。
いかに良いスタッフに囲まれているのか。

失われてから気付くようでは遅い、という言葉もある。
しかし、苦しくないと、見えないものはある。

これからの喜入へ

これからはコロナ対策のあり方を変えようと思った。私一人では、当院だけでは、この後第8、9、10と波を乗り越えられる気がしない。

今は喜入のチーム作りを模索している。コロナ対策チーム・・・KISA2隊のように、再度コロナが大流行しても喜入という地域だけは、守ることができるようなシステムを作りたい。

そんなことを想いながら、1日でも早く子どもたちの元に帰れる日をクリニックで待っている。家のベッドで、寝たい。

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