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【プロジェクト紹介】株式会社ベーシックシネマ ~(仮題)『そこにあるもの ~福島県浪江町の2023年~』②撮影の背景、苕野神社について

全国・世界・地元から、福島県浜通り12市町村にて芸術家が滞在制作をする「ハマカルアートプロジェクト」(経済産業省令和5年度地域経済政策推進事業(芸術家の中期滞在制作支援事業)。
その採択プログラムの紹介として、ここでは板橋基之さん(株式会社ベーシックシネマ)による「請戸・苕野神社の再建と人々の暮らし」をご紹介しています。

今回は板橋監督のプロジェクトに触れる2回目、撮影地「請戸地区」と「苕野神社」(表紙写真)についてご紹介します。
1回目の記事はこちら

漁が戻った請戸漁港。港湾整備は続いている(2023年12月)

【請戸地区とは】

浪江町最東端の地区で、主要産業である漁業のかなめ、請戸漁港があります。
福島県沖で揚がる魚は「常磐もの」と呼ばれ、その魚種の多さと品質の高さから今なお評価が高いですが、中でもここで揚がる魚は「請戸もの」と呼ばれ、重宝されていたと言います。
また、震災前は港に沿うように人家が密集し、約1,800人が暮らしていた"海の町、請戸"でしたが、津波被害が大きかったことから、もともと人が住んでいた沿岸や平地である区域の大部分が災害危険区域(住宅建築ができない地域)に指定されました。
現在は一部の工場や震災遺構を除き、ほとんどが更地となっていますが、漁港は再整備が行われ、漁も再開されています。

再建が進む本殿(2023年12月撮影)

【苕野神社とは】

往古は請戸の沖合いにあった「苕野小島」という島に鎮座していましたが、波などで島が崩壊したため、現在の地に遷座したそうです。

また、茨城県稲敷市に鎮座する大杉神社(通称あんばさま)と関係が深い神社であり、毎年2月の第3日曜日には『安波祭』と呼ばれる「浜下り潮水神事」が催行されてきました。

安波祭の大祭式典では、浦安の舞神楽・田植えおどりが舞われる他、神輿渡御、樽みこし海上荒波渡御、御潮水献備神事、早朝護摩祈祷などの神事が行われます。

震災の影響と新型コロナウイルスの影響で中断された時期もありましたが、今年2月に3年ぶりに挙行され、現在に続いています。

【苕野神社の謂れ】

苕野神社は標葉郡唯一の式内社であり、古来から郡民や領主などから篤い尊崇を集めていました。
桓武天皇の御代に、坂上田村麻呂が東夷征伐命で進軍た際、当社にて戦勝を祈願し、賊徒を平定した後に、神恩への報賽として神殿を建てたそうです。また、保元年間の1156年、請戸に館を築き一帯を支配していた平 隆義は、苕野神社への敬神の念が特に篤く、神領を寄進し社殿を造営するなどし、標葉氏の氏神として崇めたといいます。

やがて明応元年(1492年)、相馬氏の所領となったのちは、相馬氏からも尊崇を集め、社領の寄進や社殿の造営が行われました。

祭神の謂れについては「荒」「阿部」といった、浜通り北部に多く見られる姓を持つ登場人物が出てくるのも特徴です。

2011年3月の東日本大震災により津波流出しましたが、本年7月に地鎮祭が行われ、社殿の再建(表紙写真)が進められています。

次回は今回の撮影・作品に関して、板橋監督にインタビューした内容をご紹介します。
(特筆等ない場合、各数値等は執筆時2023年12月時点のものです)