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【採択者紹介】株式会社ベーシックシネマ ~(仮題)『そこにあるもの ~福島県浪江町の2023年~』①~

全国・世界・地元から、福島県浜通り12市町村にて芸術家が滞在制作をする「ハマカルアートプロジェクト」(経済産業省令和5年度地域経済政策推進事業(芸術家の中期滞在制作支援事業)。

その採択プログラムのひとつ、板橋 基之 監督(株式会社ベーシックシネマ)によるドキュメンタリー映画
「請戸(うけど)・苕野(くさの)神社の再建と人々の暮らし」
1年に及ぶ期間をかけ、監督がどこで・なにを・どのように撮影するのかをシリーズでご紹介します。
第1回目として今回は

  • 板橋監督について

  • 舞台となる浪江町について

をお伝えしたいと思います!

【今回の芸術家、板橋監督とは…?】

ー 板橋基之さんの紹介 ー
※ 表紙の写真は現地浪江での取材の際の板橋監督です

1976年、東京都生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。日本映画監督協会会員。フリーのディレクターとして、映画、ドキュメンタリー、広告映像などを企画・演出。

高校時代に見た映画がキッカケで、いつかは映画を撮りたいと思っておられた板橋監督。40歳という節目の年に、改めて映画を撮りたいと思い、初監督映画『おべんとう』(2016)を制作。
この作品は、登場人物らとお弁当の想い出が描かれ、モントリオール世界映画祭を始め、クレルモンフェラン短編映画祭など、数々の映画祭で上映。

その後も、複数の短編作品を通し「人の記憶」や「日常」「つながり」を表現してこられました。

また、2022年には初の長編映画が公開され、サンダンス映画祭 ×NHK2023に選出されます。

そして現在は、福島県浪江町の映画を撮影されておられます(本事業の採択プログラム)。

定期的に、福島県(浪江町)へ撮影にいらしている板橋監督。もともと東京をメインに活動されていた監督と福島県の地元との関わりは、2010年の夏から、浪江の請戸漁港で行われる安波(あんば)祭の取材として、漁師さんの奥様方を対象とした番組取材でいらしたことがキッカケだそうです。
※安波祭・・・海上安全・豊漁などを祈願するため、毎年2月の第3日曜日に行われる苕野神社の祭礼。神事や、神楽、田植踊り(たうえおどり)などが行われる

残念ながら、その作品は東日本大震災の発生により放送されることはなく、苕野神社も津波で流され、浪江町自体が全町避難となったこともあり、監督と浪江町の間に少し空白の期間がありましたが、2021年請戸を舞台にした作品「ten」を撮影され、今回の企画もこの安波祭が行われる「苕野神社」を題材にしたものとなっています。

手前の石積みがかつての神社建造物の基礎(2023年5月末日)

【作品企画概要】
仮題:『そこにあるもの ~福島県浪江町の2023年~』

1000年以上の時を経て、請戸の人々の暮らし・地区の変遷とともにあった苕野神社。
震災・津波被害により、本殿や狛犬は倒壊・石積みの土台のみとなり、一時は全町避難により、立ち入ることすらできなくなりました。

避難解除後、地区には人々の"くらし"がなくなり、その姿も大きく変わってしまったものの、"請戸の人たち"のひとつの拠り所であった苕野神社は再建されることとなりました。

本作は2023年2月、再建前最後の安波祭から、再建後初となる2024年の祭礼までを追い、震災前後の映像と併せ、人々の「町への想い」「人生の想い」とともに、浪江町の今を伝えるドキュメンタリー映画となる予定です。

【作品の舞台"請戸"のある浪江町とは】

福島県の太平洋岸、"浜通り"と呼ばれるエリアで、双葉郡の最北端の町です。
漁港を構える請戸地区が太平洋に面し、山あいの津島地区まで東西30km以上にに広がる町には、かつて郡内最大の21,000人余り(震災時)が住んでいました。

しかし2011年、東日本大震災の地震・津波により壊滅的な被害を受けてしまいます。
また、福島第一原子力発電所の約30km圏内であることから全町避難を余儀なくされ、震災発生後から2017年3月末までの約6年間、かつて21,000人いた町民が0人となりました。

その後2017年4月、一部帰還困難区域の避難指示が解除されて住民帰還が開始、徐々にコンビニや飲食店、宿泊施設などの営業も始まり、現在(2023年12月)の居住人口は約2,100人まで回復しています。

次回は撮影地である請戸地区や、苕野神社について、紹介します。

(特筆等ない場合、各数値等は執筆時2023年12月時点のものです)