雑記20/08/07金 『井上陽水英訳詞集』を読んだ、その前のラジオ番組

 

『井上陽水英訳詞集』(訳・解説:ロバート・キャンベル、原詞:井上陽水)を読んだ。


去年発売で、そのころに吉祥寺駅井の頭線ホームに広告がでかでかと、向かいのホームからもよく見えるサイズで出ていた。
日本文学研究者キャンベル先生が深い解釈のもと翻訳し、
しかも井上陽水本人が、キャンベル先生の質問に答えて自分の解釈も開陳し、それが反映されているのだという。

買うだろう。

といって今まで買ってなかったのだが、やっとで、これが思ったより大判でしっかり四角いハードカバー製本、落ち着いた、カバーを外すとなお落ち着いた顔を見せる上品な装丁は鈴木成一デザイン室だろうと思ったら本当にそうだった。

「英訳詞集」、というタイトルで油断してたけど対訳なので、井上陽水のもとの歌詞もこの手触りの本で読めるというわけで、御馳走というほかなかった。


本は三部に分かれていて、
第一部はキャンベル先生の陽水作品との出会い、翻訳を思い立つ経緯(手術~入院)について。
第二部は詞の分析をテーマ別に行いながら、今回訳した50篇について解釈と訳の悩みどころなどを綴る。ここでは件の陽水との対談も少し引用されている。
そして第三部が、いよいよ歌詞対訳。

英訳する、という使命をひとつ噛ませて、直々に陽水にも訊いて、明らかになってくるのは、さまざまなキメの細かいニュアンス。
たとえば「傘がない」の傘が、歌の主人公のものだけではなく、象徴としての、守ってくれるものとしての「傘」が「ない」であるとか。

↓こちらは「青い闇の警告」の1フレーズについて。



また今、「夕立」(1974年)の歌詞を読むと、なんともコロナ感を感じてしまう。

計画は全部中止だ 楽しみはみんな忘れろ
嘘じゃないぞ 夕立だぞ
家に居て黙っているんだ 夏が終わるまで
君の事もずっとおあずけ

子供の頃は「夕立ぐらいで」と思っていたが、”比喩”を覚えて(いまさら)みると、なんともはや。
比喩! 比喩! 比喩!


さて、
びっくりすることに全然知らなかったのだが、件の、陽水が詞の解釈を開陳した対談、はラジオ番組だったそうで、
『ミュージック ドキュメント 井上陽水×ロバート キャンベル 「言の葉の海に漕ぎ出して」』
TOKYO-FM
2016年11月23日放送 2017年12月31日再放送


誰か言ってくれよ・・・!


検索しても、これだけの番組だが、だからこそか、ネットに転がっていない、見つけられない。一部しか。だからネットは嫌いだ。



アーカイブ配信とか、何とか・・・

せめてこの本と、ラジオは、セットにしてほしいよね。

セット売り、してくれないものか。ディレクターズカット版で。

まあ、そんなことするとあまりに「公式見解」感が出てしまうから、やってくれないだろうけれど!


放送は、送りっ放し。
くれぐれも逃したくない。。。


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