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大切なものが見えなくなっていく話


「感謝を忘れるような、そんな失礼な人間じゃないんだよ、私は…本当だよ。」


こんにちは、ハマチです。


最近、ものすごく考えさせられた出来事がありました。
今回は、その出来事を通じて考えたことを書きます。
自分勝手な言い分になってしまうかもだけどお許しください。


皆さんが今生きている、この場所に立っている。それは、自分だけの力でできたことではないです。

産み育ててくれた親、応援してくれた友達、恋人。
引き上げてくれた先生。

もっと細かくしていくと、昨日食べた鍋を作ってくれた人、野菜を育てて出荷してくれた農家さん、運んでくれた運送業者さん、売ってくれたスーパー。

漏れそうだと駆け込んだ駅のトイレ、それを作ってくれた人、ここにトイレを作ろうと計画してくれた人。
(あなた達がいなければ私は恥ずかしい思いをしていましたよ。感謝)


でも残念ながら、自分だけの力で生きているって思っている、ありがたみを忘れている、そんな残念な人を見かけます。


「驕っている」
「調子に乗っている」


そう思われても不思議じゃない人をよく見かけます。
でも、本当そうなのでしょうか?


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以前、自分を卑下するのはやめようぜってnoteを書きました。

相手の厚意を素直に受け取れないのは、自分にその価値がないから、何か返さないと捨てられてしまう、そんな不安を吐露しました。

ですが、相手の厚意を受け取れない理由が他にもう一つありました。


それは父親との思い出の中にあります。
ハマチの父は、ハマチのことをとても可愛がってくれました。
幼少期のハマチを近場の遊園地によく連れて行ってくれたし、欲しいと言ったものはほとんど買ってくれました。(これを可愛がっていると言っていいかわかりませんが)


ある日、小学生のハマチはポケモンカードの仕分けをしていました。
ダブっている(複数枚持っている)カードをいとこにあげるために分けていたのです。

父に何をしているのか聞かれたので、素直に「ダブったカードをいとこにあげるんだ」と伝えました。

それを聞いた父は、「なんだよ、せっかく買ってあげたのに」と悲しそうに言いました。

いとこにあげようとしたカードの中には、父に買ってもらったカードもあったと思います。
ハマチは父に対してとても申し訳ない気持ちになりました。
父はいとこにあげるために買ったんじゃありません。
ハマチに喜んで欲しくて、大切にして欲しくて買ったに決まっています。


幼少期のハマチは、父親は欲しいものを買ってくれて「当たり前」だと思っていました。感謝はしていたと思います。でもその気持ちを「当たり前」が空気みたいにしてしまって、見えなくなっていた。
だから買ってもらったものをダブったからといって簡単に人にあげてしまう。

その時からハマチはもらったものは大切にしなければ、と思うようになりました。
同時に、やってもらって「当たり前」と思ったがために、他人に悲しい思いをさせてしまうことを異常に恐ろしく感じるようになりました。


この頃他にも色々あったので、自己肯定感が低くなります。

受け取り続けることで当たり前になってしまうことと、低くなった自己肯定感がタッグを組んで、相手の厚意を素直に受け取れない、ネガティブハマチの完成です。

何かを受け取ろうとするハマチを、ネガティブハマチが「お前にそれを受け取る資格あるのか?」と囁き、幼少の記憶を言って聞かせます。
「受け取ったところで、また相手を悲しませるだけだよ」と。


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おかげさまでハマチはX(Twitter)が繋いでくれたたくさんの素敵なご縁によって、自己肯定感がちょっとずつ上がってきました。

皆様からのご厚意も、ありがたく受け取ることができるようになりました。


ここでちょっと考えます。


受け取ってもいいハマチ。でもたくさん受け取りすぎて、もし皆様からのご厚意に対する感謝を感じなくなってしまったら?

感謝することを忘れてしまうそんな人間になってしまったら?

それで知らないうちに相手を傷つけてしまったら?


ハマチは急に怖くなりました。


そんな気持ちを友人に吐露したところ、「過去、自分も似たようなことあったよ。」と言われました。

X上でもそのような話はちょこちょこ目にします。

もしかしたら、誰もが必ず通る道なのかもしれません。


友人もXで見かけた話も、本人が「感謝することを忘れるひどい人間」だとハマチには思えません。


今の自分を形成した出来事。
全てのご縁。
大切なもの。

自分1人だけでここまで来られたなんて思ってない。


それでも


それらがいつもそばにいて見守ってくれるものだから、ありがたいのはわかるんだけど、「当たり前」にそばにいてくれるものだから、段々ダンダンだんだんと空気みたいになって見えなくなっていく。


特に毎日生きていくことに必死で、日々を忙しくしてしまっていたら、あっという間に見えなくなってしまう。


ありがたさはわかっている。
たいせつにおもっている。


それでもその大切な存在も、ありがとうの気持ちも、心の片隅に仕舞い込んだままにしてしまうこともあると思う。


そうなんじゃないかなって思いました。


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もしこれを読んでいる人で、感謝の気持ちを忘れてしまったがために、誰かから苦言を呈されたり、縁が切れてしまったことを気にしている人がいるとしたら、その人に伝えたいです。


周りの人みんなが、あなたのことを「感謝を忘れるひどい人間だ」とは思っていないです。

感謝の気持ちはちゃんと持っていた。でもその気持ちを「当たり前」で包んで空気にして見えにくくしてしまっただけだって。

多分苦言を呈した相手も、あなたのことを心からひどい人だと思っていなくて、空気になってしまった「ありがとう」をちゃんと見てねと気がついて欲しかっただけかもしれません。


だから、「相手の厚意」とか「感謝」って、気がついたら見えなくなるものだと意識して、見失わないようにいつも注意して。
今後、同じ間違いをしなければいいんです。


意識すれば絶対大丈夫。見えなくなることなんてない。
いつも近くにいてくれるはずだから。


誰がなんと言おうが、ハマチはそう信じております。


今回の出来事でハマチの心は大きく揺さぶられましたが、自分がどれだけ多くの人に支えられてここまで生きてこられたか、改めて確認することができました。


再確認し心の中でその色を取り戻すことができた、たくさんの「ありがとう」、ここに今回の出来事も仲間入りです。

(あ、でも冒頭で触れたマジで感謝しない酷い人間、奪うだけの人間もいるからそこは気をつけよう。)


最後に、皆様いつもnoteを読んでくださってありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。

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