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いま、ここで歌う

大学のアカペラサークルで歌っていた頃、周りと比べてばかりだった。

みんなと声を合わせるのはとても楽しく、かけがえのない時間だった。
一方で大所帯の集団の中には、上手い同期も、多才な先輩も、センスが抜群にある後輩もいた。

そんな中で、がむしゃらに活動を続けながらも
「このステージに立っていていいのか」
「自分であることの価値を、はたして提供できているのか」
ということを漠然と考えることがあった。

あれからしばらくして大学を卒業し、いつのまにか歌うことから遠ざかってしまっていた。なんとなくSNSを眺めていた日に、タイムラインに流れてきたある人の言葉が目に留まった。

僕より上手いベーシストは掃いて捨てるほどいますが、どんなに上手なプレイヤーも、演奏をしなければ価値が出せません。

今夜このバンドでお客さんを楽しませられるのは、僕しかいません。上手いあの人も、同時にあちこちで演奏できるわけではないのです。

「今この場にいる」それが自分の最大の価値だと考えることにしています。それは他の誰にも物理的にできないことだからです。

世の中は常に自分の上位互換のような人がいるように感じます。これを考えると自分という存在は必要なのかと悩みます。皆さんはどのようにこれを解決していますか? - Quora


わたしが「いま、ここにいる」という紛れもない事実は、他のどんなに優れた人にも覆せない。だから私が歌う意味がある。

それは笑って歌いながらもどこかにもやもやしたものを抱えていた、かつての自分へのアンサーであるようにも思えた。

アカペラから離れた10年の期間もそれはそれで実り多き日々だったけど、わたしは結局また歌をうたい、ハーモニーを重ねることにした。
「あなたがここで歌っていることが、すでに十分なほど価値を持つんだよ」というメッセージが、あの頃の青いわたしに届けばと思う。


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