見出し画像

二段ベッド

うちの子供部屋には二段ベッドがあった。

「お姉ちゃん、起きてる?」
私はつま先で上の段の板をつつく。
「どうしたのまゆ、また眠れない?」
お姉ちゃんが返事を返す。
これがいつもの流れだった。

私は小さな頃から入眠までが長く、母に「子供は寝る時間よ」と言われてから三時間は寝付けなかった。
そのため朝に起きることが出来ず、母からは「だらしがない」学校からは「寝坊が多い」と叱られた。

そして私には年の離れた姉がおり、姉とは二段ベッドで眠っていた。姉が上の段、私が下の段。
姉だけが唯一私に優しくしてくれた。私は毎日寝付くまでのお喋りをせがんだ。
姉も私ほどではないが寝付きのいい方ではない。
よくランプを付けて本を読んでいた。
姉は学校の授業の話や、読んでいる本の内容など色んな話をしてくれた。

しかしそんなある日、姉は死んだ。

交通事故だった。下校中の姉に飲酒運転の車が信号無視をして突っ込んだのだ。
打ちどころが悪く、姉は即死だった。
私は生まれて初めて孤独な夜を知った。
暗くて、静かで、冷たくて、寂しい。
夜とはこんなに恐ろしいものだったのかと、体が震え出す。
「お姉ちゃん…」ぽつりとこぼす。

「どうしたのまゆ、また眠れない?」

私は目を見開いた。姉の声がした。
死んだはずの姉の声が。
私は急いでハシゴをかけ上る。
しかしそこに姉の姿はなかった。
当然だ、姉は死んだのだ。今のは私の願望が頭の中でこだましたものに違いない。

次の日の夜も私は孤独だった。
二段ベッドに仰向けになり、板を見つめる。
ふいに試してみたくなった。
つま先で板をつつく。
「お姉ちゃん、起きてる?」
返事はすぐに返ってきた。
「どうしたのまゆ、また眠れない?」
驚きよりも嬉しさの方が強かった。
やっぱりお姉ちゃんはまだここにいる。
「うん、そうなの。またお話して」

それは私が家を出るまで続いた。
私は成人を迎え、昼過ぎから出勤の仕事に就き、家を出ることを決めた。
本当は家を出たくはなかったが、地元は人々の境界線が曖昧な田舎で、私が睡眠障害のことで精神科に行くと言うと母は「世間体が悪い」と嫌な顔をするので、都会で一人暮らしをすることにしたのだ。
「お姉ちゃん、私、明日で家を出るよ」
「知ってる」
「お姉ちゃんはどうするの?」
「どうするって?」
私は姉が死んでから両親と話しているところを見たことがなかった。姉は私の為にこの二段ベッドに居てくれているのだと思っていた。
だから、私がいなくなったこの二段ベッドに姉が居るところを想像できなかった。
「お姉ちゃんはずっとここに居るの?」
「わからない。もしかしたらまゆがいなくなった二段ベッドには、私はもう居られないかも」
姉も同じことを考えているようだった。

次の日、私は長年暮らした実家を出た。

新居にやはり姉はいなかった。
病院に行って睡眠障害と診断を受け、睡眠薬をもらった。
その日、私は初めて布団に入りすぐに眠りにつくことができた。


それから私は勤めていた会社の同僚と結婚した。
もちろんお姉ちゃんのことも話したが、彼は「僕も霊感とか強い方だから、そういうのよくあるよ」とさらっと受け入れられたのには驚いた。

そして今私のお腹には二つの命が宿っている。
どちらも女の子らしかった。
私たちはこの子達が大きくなったら、必ず二段ベッドを買おうねと話をした。
お姉ちゃんが上の段、妹は下の段。
妹が上の段の板をつつき、ふたりで内緒話をする。
あの頃の私達のように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?