素晴らしき日常

ああ、いい天気だ。

縁側に出た山田惣十朗は、心のうちでそう呟き、大きく伸びをした。

五月の初めだが夏のような陽気で、夏生まれの彼はなんだか浮き浮きしていた。

この暑さで、隣近所の老人たちは外出を控える者も多いらしい。

外出せんで、エアコンもつけずにおったらなお危なかろうに。

また心の中で一人呟きながら、さて今日は何をしようかと、白いポロシャツに着替える。

図書館に涼みにでも出掛けようか、そう思ったその時、玄関に置いた黒電話が鳴っていることに気づいた。

惣十朗はかくしゃくとした足取りで玄関へ向かう。
受話器を取り、
「はい、山田です」
名乗りながら、なんだか電話に出るのが久しぶりのように感じ、少し嬉しくなる。

「あっ、じいちゃん?」

電話の向こうで若い男の声がした。

「ん?どちらさんかの?」
惣十朗が答えると、その語尾に被せるように男が、
「オレだよ!オレ!」

惣十朗はしばらく考えてから、
「敦か?孫の」
電話の向こうの声が喜色を帯びる。
「そうそう!敦だよ!」
「大学生の」
「そうそう!大変なんだよ!」

そこから、男は淀みなく話し始めた。
大学へ行く途中、自転車で子供をひいて怪我をさせてしまったこと。
その子供が暴力団の組長の息子で、「慰謝料として500万円を払うまで許さない」と、組の事務所に監禁されていること。

「た、大変じゃないか!いつまでに用意すればいいんだ!」
惣十朗は大声を出す。

今日の午後3時に、組長の部下がじいちゃんの家まで受け取りに行くから。それまでに頼むよ。
男は泣き声でそう言い、
「恩に着るよ、じいちゃん!」
そこで電話が切れた。

惣十朗はゆっくりと受話器を置く。

そうしてから、ポロシャツの胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、無料通信アプリを起動した。
「友だち一覧」リストから「敦」を選び、手早くキーボードのフリック入力を始める。

『今どこにおる?』

すぐに既読マークがつき、

『なに、じいちゃんいきなり。講義中』

と、返信メッセージが表示される。

『りょ。講義に集中せい』

「りょーかい」という文字のついた、とぼけた表情のウサギのスタンプが届くのを確認し、惣十朗はにやりと笑った。

これで、しばらく退屈せずにすみそうじゃ。





「お手柄、98歳男性『騙されたふり』で詐欺グループを摘発」

○○県警は×日、詐欺の疑いで21歳の男と共犯の男2名を逮捕しました。
男らは、男性(98歳)の孫を装い、金銭を要求する電話をかけましたが、詐欺に気づいた男性が、新聞紙を切って札束に見せかけ、さらに金融機関で金を下ろしたように見えるよう、銀行に行って紙袋だけをもらい、紙袋の底に小型のGPS発信器を取り付け、だまされたふりをして犯人グループに渡したことが逮捕につながったとのことです。
警察では男性に感謝状を送ることに決めましたが、男性は、
「ただのじいさんがGPSを盗まれただけの話ですから」
と断ったとのことです。



※この小説は実際にあった事件をもとに書いていますが、登場する人物名はすべて架空のものであり、実在する人物とはまったく関係ありません。

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