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タッパーにおかずを詰めて渡すのが好きな母親という生き物について

母親、という生き物はよくわからん存在である。

大阪の親元を離れて三重に来てかなり経つが、実家に行く度そう思う。
母親という生き物は何故あんなにもタッパーに食べ物を詰めて持ち帰らせようとするのだろう。

正月のお節の残りを細かく刻んで入れたちらし寿司を、私の母がせっせとタッパーに詰めているのを見て、昔そんな事を考えた。

母は「帰ったら食べや」と言いながらついでに余った炒り鳥もギュウギュウに詰め込む。
お母ちゃん、私は昨日それをたらふく食べたんだよ。
私の三重の家にそうやって持って帰ったタッパーがどれだけあるか知ってるかい?
そう言いたいけれど、聞きやしないのが分かってるので何も言わない。
母という生き物は、娘が見てないうちに帰りの荷物の中に食べ物を入れるのが大変得意なのだ。

母はどういうわけか果物の皮を剥くことに抵抗が無いように見える。
バナナとミカン以外の皮を剥くのが面倒くさい私に柿やらリンゴを持たせようと粘る母は、最終的に「剥いたるから食べてき」と言う。
ひどい時には「剥いてタッパー入れといたるから帰ってから食べ」と言う。
冗談じゃない。
何故私は大阪の実家に帰ってまで剥いた柿を持ち帰らなきゃならんのだ。
三重にだって柿はあるんだぞ。
そう言いたいが私は言わない。
ちょっと目を離した隙に手早く果物の皮を剥いてしまうのだから。
帰りの荷物をこれ以上増やしたくない私は、むぐむぐと熟れた柿を頬張る羽目になる。

私の母は非常に縫い物が得意であった。
そうするとどうなるかと言うと、破れた布製品は大抵チクチク縫って直してしまう。
カカトに穴が開いた靴下を「高かったのに!」と嘆きながら一生懸命縫う。
私がちょっと目を離した隙に、私が着てきたセーターの毛玉取りを始める。
やめてくれお母ちゃん。
私ちゃんと新しいセーター買うから。
そう言う私に向かって、「次帰ってきたら、スニーカーのカカトの穴も縫ったろうな」と言う母。
いい歳して母親にセーターの毛玉取りをさせている娘で申し訳ない。
私は次実家に帰る時までに新しいセーターとスニーカーを買う事を心に決めた。

母親って、どこもこんな感じなのだろうか。
何歳になっても娘が子供に見えているのだろうか。

私は帰りの荷物を持ち上げる。
なんだかやたらと重い。
ちょっと紙袋の中を覗いてみれば私が買った覚えがないお菓子の箱やら新聞紙に包まれた謎の箱がある。
私はいつも、両手にいっぱいお土産を買って実家に元気よく帰りたいと思っている。
たくさん美味しいものを持って、家族をびっくりさせてやるのだと決めて帰る。
しかし、どういう訳かいつだって遠い一人の家に帰る時の荷物の方が多くなってしまう。

母という生き物は不思議なもんで、私が昔好きだと言った食べ物を覚えていていつもそれを用意してくれようとする。
私が明日実家に行くと言えば「お寿司とか買ってこようか?」と聞いてくる。
でも、私はそんな高い寿司なんかより、今となっては母の作る肉じゃがが食べたくて仕方ないんだよ。
だから私は正直に「肉じゃががいい!」と言った。
母ははっきり「肉じゃがはアカン」と答える。

「昨日作ったから」

母という生き物は、昨日作ったばかりの食べ物は作ってくれない。
まぁそりゃそうだよなと思う。
悔しいので今度こそ私は帰りの荷物より多くのお土産を持って実家に帰ってやると決めた。

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