【読書記録ROCK】ミュージック・マガジン10月号
■ミュージック・マガジン10月号「1990年代Jポップ・ベスト・ソングス 100」
90年代が8歳〜18歳だった僕にしたら、紛れもなく思春期を共に過ごしたのは90年代のカルチャーであり、音楽でした。
80年代の第一次、第二次バンドブームを経て、「VS洋楽」から「MIX洋楽」へとモードが変わり、90年代はガラパゴス的に「J-POP」という流れを作りました(別路線で「歌謡曲路線」もあります)。
■渋谷系の流行
大きい括りで言えば70年代、80年代で筒美京平先生がアプローチしていたブラックミュージックと日本の音楽の融合がより深くなった音楽が渋谷系。
渋谷系の文脈からはフリッパーズギターさんやオリジナルラブさん、小沢健二さん、ピチカート・ファイヴさんもヒットチャートを賑わしました。
■メガヒット
またメガヒット時代もこの頃で、100万枚を超えるミリオンヒットが連発していたのも90年代初頭から中頃。
■ドラマタイアップ
TVドラマタイアップがあって、そのドラマのヒットから、主題歌やED曲が恐ろしいくらい売れました。
※「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」「あすなろ白書」「ロングバケーション」などなど。
■音楽プロデューサー
音楽プロデューサーの仕事というものが変わり、メディアにもよく取り沙汰されるようになったのもこの頃です。
楽曲作りやシンガーさんの音楽の環境作りもさる事ながら、音楽プロデューサーがコンセプトやビジュアル、はたまたリリース日まで決める事も。
僕の中学生あたりの時に小室ブームがあり、●●プロデュースという言葉は割と目にする事が多くなりましたし、僕も刮目していました。
ヒットチャート常連のプロデューサーさんと代表的なシンガーさんやバンドさんは…
●小室哲哉さん
「安室奈美恵、globe、華原朋美、鈴木ぁみ」
●小林武史さん
「Mr.Children、My Little Lover」
●つんく♂さん
「モーニング娘。、Berryz工房、°C-ute」
●織田哲郎さん
「相川七瀬、WANDS、T-BOLAN、ZARD」
●浅倉大介さん
「T.M.Revolution」
●奥田民生さん
(PUFFY)
かつてはフロントマンで活躍されていた方が、楽曲提供を行い、そのブランド力も成功の糧になっていた事は言うまでもありません。
■更なるガラパゴス化へ
また、流れとして
●ビーイング系の台頭
と、それぞれ別軸であり、
また、ポケビさんや猿岩石さんなど、バラエティ番組から飛び出したヒット曲も忘れてはいけません。
そして、
●椎名林檎さん
●aikoさん
●UAさん
●Charaさん
というオルタナティブな女性シンガーソングライターの登場も画期的で
その後はヒップホップ、R&B路線の決定打的に宇多田ヒカルさんの登場があり、90年代は締めくくられました。
10年の間に目まぐるしく日本の音楽シーンは変化していきました。
ミュージック・マガジン 10月号の「1990年代Jポップ・ベスト・ソングス 100」に選出されてある楽曲の数々は全て納得の内容。
オリジナルラブさんの「接吻」が1位なのも納得。
それでも、勝手に僕が90年代JPOPの9曲を挙げさせてもらえるなら、、、
(※敢えてロックバンドは外させてもらいました。)
■小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(91年)
■槇原敬之「もう恋なんてしない」(92年)
■織田哲郎「いつまでも変わらぬ愛を」(92年)
■小沢健二featuringスチャダラパー「今夜ブギーバック(nice vocal / smooth rap)」(94年)
■ H Jungle with t「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」(95年)
■シャ乱Q「ズルい女」(95年)
■PUFFY「アジアの純真」(96年)
■宇多田ヒカル「Automatic」(98年)
■Dragon Ash「Let yourself go,Let myself go」(99年)
と言った所でしょうか。
僕のテーマはその時代を象徴、または流れを作った曲。
それを解説していくと莫大な量になるので、それは別で。
やはり自分が思春期を過ごした90年代の事は印象強く覚えていましたね(笑)
高知の片田舎で少年が雑誌とテレビとラジオを頼りに、東京に、音楽に、憧れていたんだなぁ。
HLN
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