私の役目
私の実家は300年以上続く京料理店。生まれたときから、親戚からは、女の子だけど、もちろん店を継ぐんやんな?という無言の圧力を受けていた。その圧力が辛く、母はそれを察してか、単に勉強させる口実を作りたかったのか、親戚を納得させるような職業につけばいいやん!とよく言われていた。だから私は一生懸命勉強した。そうこうしながら十五歳の時、今思えば二人目不妊だった母が妊娠、弟が生まれた。最初は思春期の私には受け入れられなかったものの、生まれてしまえば母親の真似事のような毎日。店が忙しければ、小学生の弟をつれて遊びにもいく、食事も作る、勉強も教える、ママ友とも交流する、サッカーも送迎。今思えば母親以上に弟に愛情も時間もかけたと自負しているほど。それほど、店が第一の家で育った私たち。
母も父も仕事ばかりで、もっとゆっくりしたいとか、自分のやりたいことあったんだろうなと今は思うけれど、できなかった不満、やりきれない思いがずっとあるように感じる。
だからずーっと、親に対して何かしなければとか、もっとこうして欲しかったとか、これからゆっくりしてほしいなとか、でももっといい店にしてほしいなとか、私の中にも複雑な思いがずっとある。
弟も4月から社会人。まずは外で働くことにしたみたいで。彼も色んな思いがあるし、悩んでもいたんだろうと察する。このまま、店を継がずに社会人になっていいのかとか、でもやりたいと思えるまで外で勉強してみたいとか、、最近では、たまに両親に対する愚痴をきくこと、相談をうけることも。おそらく、普通の家庭では考えられないほど、自由時間は奪われるし、家の用事を第一にと言う母親。若い男の子にはきついのはじゅうじゅうわかるけれど、この家に生まれたには意味があるし、使命があるとも思う。だから、どうにか、母や父のモヤモヤを解決したい、と弟も私も思っているんだと思う。
そんな思いを持っていたが、コーチングで解決したいと書いたものの、これは一生かけてやっていくんだなと覚悟していた内容。
でも、久しぶりに帰ってゆっくりした実家で、弟から自分が会社に入る前に、これはやっておくべきだと思うと、店に対する提案を持ちかけられた。そのために、私の協力がほしいと、父や母の前で話し始めてくれた。
昨年12月(1ヶ月前)に、下記のように2つの問いをかけはじめた。
弟と信頼関係を築き、両親の仲介ができる関係になるためにはどうすればいいのか?
父と母がわかりあえるようになるには、私は何ができるのか?
その結果がこれだった。
セルフコーチングの偉大さに毎日驚いているが、最も驚いたこの出来事。
成長してくれた弟に涙が出そうになった。
そしてその後父と話し、新しい一歩が踏み出せたようだ。
これからも引き続き問いをかけながら、コミュニケーションを深める努力を続けていきたい。
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