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「英語ができる」ということ

 親に言われて小さい頃からかなり英語を“やらされた”。子ども心にウンザリしてたが、やっぱり大いに役に立って、会社では4年間海外駐在もさせてもらった。親に感謝、そして我が子に強制しなかったことをちょっと後悔してるアラカンである。

 刀祢館正明「英語が出来ません」を読んだ。

 筆者は朝日新聞の記者。新聞連載用の「英語が出来ない日本人」の雑多なルポかと思っていたら、「英語が出来るとはどういうことか」「英語で何をやるか」をしっかり考察する展開。最終章はまるで「伏線が回収される快感を得るエンターテイメント」の趣で、何度も膝を叩いたという稀有な体験だった。間違いなく最近の読書のなかでは収穫だった。

 私は“帰国子女”ではないが報道の外信セクションが長かったこともあり、一般的には「英語ができる人」にカテゴライズされるだろう。例えばハワイのイミグレーションやレストランでのコミュニケーションには不自由しないという“安心感”があることはありがたい。

 しかし、その私も異動で別セクションになり殆ど英語に接する機会が失われたいま、「英語ができるとはどういうことか」「英語で何をやるのか」について、ハタと考えてしまったのである。

 印象的だったくだりを紹介。

 「なぜ私たちは英語が十分に出来ないのか。それは私たちが母語だけで生活できる 「幸せな国」の住民だからだ。学校で学ぶうえでも、就職したり仕事をしたりするうえでも「母語で出来る」し「英語が絶対必要ではない」からだ。そのことは確認しておきたい」

 なんとなく「英語ができるようになりたいな」と思っているなら、本書によって一旦立ち止まってそのスタンスを考え直すのは決して無駄ではないだろう。収穫。(22/4/29)

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