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君主は好き嫌いを見せないように

ベロベロに面白い「国盗り物語」

司馬遼太郎「国盗り物語」斎藤道三編を読了した。流石は国民作家。しっかりエロい場面も散りばめられていてどんどん読み進んでしまい、気がつくと深夜になっていて焦ることも。司馬さんはこれまで「空海の風景」「翔ぶが如く」「坂の上の雲」などは読んでいたが、これからは戦国モノもガンガン読み進めよう。

「国盗り物語」第二巻にこのような記述があった。

「韓非子」に「人の君主たる者は、家来に物の好きこのみを見せてはならぬ」という教えがあるという。君主が自分の望みを知らせると、臣下はきっとそれに合わせて自分を装う。君主が自分の意向を知らせると、臣下はきっとそれに合わせて表面だけを見せるようになる、ということだ。

「忖度させないように」

なるほど、これはまさにちょっと前に流行語にもなった「忖度」だ。「忖度をするな」と戒めているのではなく、それはアタリマエに起きるものだから上に立つ者はそれを避けるように、というトコロが面白い。

もちろん私は“忖度される立場”ではなく「つい、忖度しちゃう」側であるが、これもなかなか間合が難しいものだ。

先日、こんなことがあった。詳しいことは書かないが、我が社の「ビッグボス」がある政治家の言葉を絶賛したという話を伝え聞いたので、それを関連部署の担当者たちへメールで教えてやったところ、上司の叱責をくらった。つまり「そんな発言があったことを名前をあげて文章にするな」ということらしい。当然ながら担当者はビッグボスのその言動は知っておくべきだし、逆にそれを伝達しないのは私のサラリーマンとしての職務の放棄ですらあると思うのだが、「メールという形にしたのがまずい」ということなのか。このあたりがわからなくなってしまった。

人情や組織の機微は何百年経過してもそんなに変わらない。だから中国の古典はそれぞれ味わいが深くて面白いのだな。「韓非子」か、入門書を探して読んでみよう。
(21/10/6)


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