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隅田川花火大会に思う

(写真はみんフォトから拝借)
 父が勤務していた会社の保養所のひとつが静岡県熱海市にあり、子供の頃は何度も夏休みに連れていってもらった。お小遣いをもらって新幹線の線路際の小さな駄菓子屋であれこれを眺めたこと、朝から1日中プールにいて真っ黒になったことなど、楽しい思い出がいっぱいだ。

 どの年だったろうか、「熱海海上花火大会」を海岸の消波ブロック(テトラポット)によじ登って見物したことがある。下を見ればそこは真っ暗な海で、「ここに落っこちたら一巻の終わりだな」と思った。

 そこでは、生まれて初めて間近で見た大玉の花火の迫力に圧倒された。腹に響いてくる「ドン!」という破裂音は現場で間近に聴かないと体験できないもので、こればかりはテレビでは味わえないと知った。

 きのうは4年ぶりに隅田川の花火大会が開催された。報道によると103万5000人が見物に訪れたという。

 隅田川に限らず花火大会のニュースに接すると、なんともいえないモヤモヤした気分に襲われる。

 「あーあ、超巨大規模の人混みにわざわざ飛び込んで、何十分もダラダラ歩いたり、場所取りや景観の確保にやきもきさせられるなんて、絶対にイヤだな」といううんざり感。

 「子どもたちが小さい頃に連れて行ってやるべきだったな」という罪悪感。

 若者がはしゃぐミットモナイ姿を見るであろう不愉快さ。

 そんな「青い」日々が自分には永遠に戻ってこないという寂しさ。

 きのうの私は例によって読書三昧の休日で、外出といえば朝のジョギングと地元スーパーと図書館だけだった。いずれも自宅から1kmも離れていない。

 なにしろ100万人も集めるイベントだ、ちょっとでも人が参集する場所へ出ていたら浴衣姿で浮かれる若者たちに大量に遭遇したことであろう。「じっとしていてよかったなあ」と思う。
 
 結局のところ私は熱海で見たあの花火大会に圧倒されて、大玉の花火たちが大好きなのだろう。いまの心情は、生来の出不精が花火への憧憬を凌駕しているというアンビバレンツさに煩悶しているのかもしれない。

 「将来、孫でも生まれたらカネに糸目をつけずにバカ高い観覧席をドカッと抑えて、たっぷりと楽しんでやろう」と思っている。カネで解決や。
(23/7/30)


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