残酷な歳月

 もう4年間も1滴も酒を飲んでいない。“食事会”にお付き合いすることもあるが、当方の気分は「飲み会」ではない。

 去年秋に異動して所属先の会社に戻ったおばちゃんから「唐突ですが、今夜メシ会しませんか?」というLINEが舞い込んだ。午後2時半である。その明るさと聡明さとノリが大好きで生涯の友人と思っているおばちゃんからのお誘いだ。ふたつ返事でOK、職場のもうひとりのおっさんとあわせて3人が揃った。突発的な参集とあって、みんな特にお店のアテがあるわけではない。

 「そういえばしばらく行ってなかったあのおでん屋さんはどうなったかな?」と思い出してネット検索すると、ちゃんと営業しているようだ。

 銀座出身とされる女性が繁華街の路地に構える小さなお店。おいしいおでんと落ち着く店構えが好きで、かなり通ったもの。しかし同行していた当時の同僚の顔ぶれから記憶をさぐると、どうも10年ほどのご無沙汰である。

 「さすがに敷居が高いなー」と躊躇したが、おばちゃんは「行ってみたい!」とのこと。店への電話は「昔お世話になった○○といいます。3人で伺います。久しぶりなので、ちょっと申し訳ないんですが、、、」と、いきなり言い訳モードである。

 いざ店へ向かう。

 あれだけ通ったのにもかかわらず記憶があいまいで、「ここだ」と思った路地を曲がっても店がない。スマホの地図アプリに道案内をしてもらってやっとたどりついた。

 店に入るなりお女将さんは「あ、○○さんじゃない!お久しぶりです」と言ってくれた。「まあ、あらかじめ電話をしていたから、こちらの名前はわかっているよね」と冷静に受け止める。

 「いやいや、きっと10年ぶりくらいです。お酒止めたんですよ。敷居が高くて・・・」とグダグダと話していくが、なるほど、こちらの勤務先や、あの頃に話題にしていたアナウンサーのことなども覚えてくれていた。「10年も経つかしら?また来てくれるなんて、頑張ってお店を開けていてよかったわー」と如才がない。

 それにしても、女性にとっての10年は残酷だ。

 当時から五十路の坂は越えていたであろう女将さんだが、上品な美人というたたずまいがあった。それがいまはカウンター内の歩き方がヨタヨタして、おでん皿を差し出す手が震えているようなのだ。

 いつも常連さんで賑わっていた小さなお店も、この日は我々以外に2組だけだ。肝心のおでんも「あ、それはもう終わっちゃったのよー」というネタが多く、終わったのではなく、そもそも用意してないのがバレバレ。これでは店に活気がなくなるわけだ。

 連れて行ったおばちゃんもおっさんも「おでん、おいしかった!」と満足のようす。なにしろふたりとも結構な酒飲みなので、「また使ってあげてくださーい」というところである。

 再会の嬉しさと、歳月の残酷さを味わった夜になった。
(23/4/6)

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