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阪神大震災と東日本大震災

昨夜は自宅で本を読んでいる際にグラっときた。自宅の区で記録された震度は4。自分の感覚でもその程度だろうと推測したので、「すごく揺れた!」と大騒ぎしている家人よりは冷静でいられた。

昭和末期から報道に携わってきたのでもちろん阪神大震災と東日本大震災は大きな節目として記憶しているが、間が悪いことに、たまたま両者とも発生時に持ち場にいなかった。

95年の阪神大震災当時はカメラマンで、休暇のためパラオに滞在中だった。ダイビングショップでだったかホテルでだったか、現地の方に「日本で大きな地震があったようだ」と知らされてCNNをつけたところいきなり阪神高速道路の陸橋が横倒しになっていて、背筋が冷えた。

もちろんすぐに帰国できるものでもなく、結局現地入りできたのは発生から2カ月も経過したあとのことになった。めぐり合わせとはいえ、報道マンとしては「出遅れちゃったなあ」という苦い記憶が残った。

10年前の東日本大震災が発生した際は広島の系列局で会議に出席中だった。上司からすぐに帰京を命じられてテレビ局を飛び出しタクシーの中で航空便の予約を試みたが、羽田空港はすでに閉鎖。地元局さんに勧められた夜行バスを予約したが、実は新幹線が新大阪まで運行していると判明してそれに飛び乗った。その先はどうもタクシーしか手段がない。そこで大坂の系列局に東京までのタクシー手配をお願いしたが、「そこまでの長距離は難しい」。仕方なく名古屋までをお願いして、次に名古屋の系列局が手配したタクシーに乗り換えたのである。

乗り換えのため短時間立ち寄った名古屋の局では食料やビタミン剤を差し入れていただいたことに感激。放送されているニュースで東京の自社ビルの壁にもヒビが入っている映像を見た際に、災害を生々しく実感した。もちろん東北の津波はそれどころではない被害になっていたのだが、深夜のことでもあり全容を把握できていなかった。

通常ならば東京までは東名高速を使うことになるのだろうが、どうも道中のようすがわからない。「それならば中央道ルートにしましょう」と決めて走り出した。

東京へ向けて走っていた未明、真っ暗な車内で携帯電話の緊急地震速報が鳴動した。なにしろ大災害発生で興奮しているところだ。そこで聴くあの警報音はさらに禍々しく神経を逆なでするもので、「日本はどうなっちゃうんだろう」とビビったものである。いまにして思えばその警報音は3月12日未明に長野県栄村で震度6強を記録した長野県北部地震のもので、ちょうどそのタイミングに長野付近を走っていたはずだったのだが、幸いなことに揺れを感じることもなく走り抜けたのである。

明るくなって到着した早朝の東京には人があふれていた。帰宅ができなかった人たち。タクシーの車窓からみたその行進風景は静謐そのもので、なんとも不思議な光景に見えた記憶がある。
(21/10/8)

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