見出し画像

懐かしのカーペンターズ

懐メロとしてのカーペンターズ

 朝日新聞別刷り「Be」の読者アンケートコーナー「今こそ!聴きたい」がカーペンターズを取り上げていた。1位になったのは「イエスタデイ・ワンス・モア」。まあ、当たり前すぎて面白くもない結果だ。

 私がカーペンターズに出会ったのは、少年ジャンプに連載されていた吉沢やすみ「ど根性ガエル」がきっかけだった。片思いしている相手の女の子がカーペンターズ好きだと知ったレコード店の息子がLPをプレゼントするがあえなく失恋、というエピソード。「へえ、そういうグループがあるのか」と興味を持って、「カーペンターズ・ライヴ・イン・ジャパン」という2枚組LPを買った。子どものクセにやることが大胆だったな。

アメリカの豊かさの象徴

 楽曲もさることながら、カレン・カーペンターについて「世の中にはこんなに美しい人がいるのか」と子ども心にうっとり憧れていた。彼女がわずか32歳で逝去した際、私は大学入学の直前で、もう熱烈なファンではなかった。それでも、もし順調に歌手活動を続けていたらどのような円熟の歌声を聴かせてくれただろうか、と思わざるを得ない。

 カレンだけではない。兄のリチャードもびっくりするほど“ハンサム”だ。健全な良家の子女風な兄妹のあのルックスは、70年代の豊かなアメリカを象徴していた。そういえばスティーブン・キングの小説だったか、「どの家にも必ず1枚はカーペンターズのレコードがあった古き良きアメリカ」という記述があったように思う。

カレンの歌声の魅力

 朝日のアンケート記事では、本文で「情感豊かに歌い上げる」と紹介されているほか、読者は「情感のこもった歌いかた」「伸びやかな声」と話している。日本のレコード会社の担当者がこれについて実に腑に落ちる解説をしている。「カレンのボーカルは、ドラマーとしてのリズム感の良さを土台にした、譜面に表せない独特のタメ、間のようなものがあって、それが独特のウェット感を生んでいると思います」。改めてAmazon musicで聴くと、なるほど彼女の歌声の魅力はまさにそこにある。言語化してもらって、ちょっと嬉しかった。

カーペンターズにとって日本はどんな国だったのか

 記事では「人気が頂点にあった70年代に何度か来日して、生の演奏が聴けたことも(日本での)息の長い人気につながったと言われていますね」とあった。私が購入したLPもそのうちのひとつを収録したものだろう。

 全米一の売れっ子、すなわち世界一の人気者だったカーペンターズに70年代の日本はどのように見えていたのか。「太平洋戦争の荒廃から見事に復興しつつある有望な市場」であったことは間違いないだろうが、それでもわざわざ何回もやってきてくれたのはありがたい。それだけ日本を気に入ってくれたのか、どんな印象を持ったのか、聞いてみたいところだ。
(22/6/5)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?