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沼がまた呼ぶ 3

これまでのあらすじ:クッキー買いに行ったらお城に迷い込んだでござる。

そんなわけで、リカちゃんやジェニーには免疫が出来ていたはずだった。きらきらしたドールやすてきなドレスを見ても、ああ今はこうなっているのね、かわいいねウフフ、くらいで済むはずだった。ここで一旦リセットしてから、クッキーの世界にいざ行かんと思っていたのだ。

ところが。
会場には名だたるクリエイターたちが手掛けた衣装を着たドールがたくさん展示されており、ガラスケースの向こうで愛らしく、或いは艶然と微笑んでいる。彼女たちと目が合った一瞬で、私は昔に引き戻された。
そこに改めて現在の姿を見た衝撃が加わり、なんかもうたいへんなことになった。

何これかわいい! えっヤバ、ちょっと待って今こんなにかわいいの!?
記憶と全然違うんだが!?
お人形教室って何? ドレスと小物とセット販売? この内容でこの値段すごくない!?
そういやジェニー派だったわ私。この子いいなーかわいい!
箱入りの子はさすがのお値段、でもやっぱかわいい、て言うかお洋服かわいい!
かーわーいーいー!

うるせえな!

この時点で、脳内では3ヶ月分くらいのかわいいを叫んだと思う。
それでもまだ購入をためらう気持ちはあった。一度手を出したら収拾のつかない趣味になることは分かっていたからだ。だがその迷いを吹っ飛ばすお知らせを見てしまった。
『お人形教室ラブジェニーの催事での販売は、2023年6月そごう横浜店まで、以降販売休止(再開時期未定)』
いやもうそんなん言われたら買うしかないじゃん! な!?

脳内から謎に同意を求められ、勿論だとも! と即レス。
会場をぐるぐる回り、ドールやお洋服を見比べて吟味し、君に決めた! と、お人形教室ラブジェニーからカッパーオレンジの髪のジェニーを選んだ。ドレスと小物も併せてお会計を済ませ、ふうやれやれ、と額の汗を拭うような気持ちで一息ついた。
改めて見てみると、会場には大人客の方が圧倒的に多く、ほとんどの人が『懐かしい』ではなく、現行の趣味として楽しんでいるようだった。少数だが男性もいて一瞬驚いたが、私だって仮面ライダー好きだしなと納得した。

そうして落ち着いてからクッキー博覧会に戻ると、最初に入ったときの妙なテンションはどこへやら、すっかり冷静な目でクッキーを見ることが出来るようになっていた。
穏やかな湖のような心持ちになった私の目にスッと映ったのは、帝国ホテルのアニバーサリークッキーだった。
建築家フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル二代目本館(ライト館)が、2023年に100周年を迎えるのを記念してデザインされた限定缶だ。帝国ホテルに泊まったことはないが、ライト好きとして見逃すわけには行かない。
いつもだったら、買うのはいいけどこの缶何に使うんだと思うところだが、これからはドールの小物を入れておくという立派な使い途がある。
静かな心でクッキー缶を買い、両手にすてきなものだけを持って家路についた。これからは毎日この子が部屋にいるのだと思うと、なんだかQOLが上がるような気持ちになった。

このとき私は、まだ知らなかった。
リカちゃんキャッスルとタカラトミーの異なる商品展開、ヤフオクやフリマサイトの台頭、アイシードールやブライスの存在を。minneやCreemaで素晴らしいクオリティのドール服を販売するクリエイターたちのことを。
以前よりも遙かに広く深い沼に、自分が沈み込もうとしていることを。

〈第一部・完〉

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