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僕の好きな詩について 第四回 中原中也

こんにちは。八月中旬なのに秋の気配ですね。平成最後であることも含め、今年はとても変わった年だと思います。
さてそれでは今回の詩はこちらです。どうぞ。
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「頑是ない歌」中原中也

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質(さが)
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
 
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現代詩を書く人でもそろそろ中原中也や宮沢賢治を通ってない人が出てきてるんじゃないでしょうか。

中原中也は30歳で早逝していますが、弟や二人の息子も幼くして失っており、喪失を埋めるために文学に凭れていた寂しい天才、空白の痛みを文芸に昇華させた存在であると言えます。そしてその喪失は中也自身も焼き焦がしてしまうのです。

中也の詩は作者の人生という背景を離れ、様々な媒体で取り上げられ、その馴染みやすいリズムから愛唱されることも多いと思いますが、彼の悲しさを知ると詩の表情が激変し、より一層心に突き刺さるようになります。

ちなみにこの詩は中也が亡くなる二年前、人生発の詩集が刊行され、長男が生まれて一年二か月が経ち、幸福のただ中にあるはずの頃のものです。
この翌年最愛の長男は夭折し、そのさらに次の年に中也本人が、さらにまたその翌年には次男が他界します。次男が亡くなった年にこの「頑是ない歌」が納められた詩集『在りし日の歌』が刊行されました。

#詩 #現代詩 #感想文 #中原中也 #頑是ない歌

いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。