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僕の好きな詩について 第四十回 粕谷栄市

こんばんは。僕の好きな詩について、第四十回は、散文詩の名手、粕谷栄市氏です。

ではどうぞ!
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「世界の構造」粕谷栄市

私は、「世界の構造」と言う書物を愛読している。もうずっと以前、田舎町の古物屋で、柄のとれた火桶と一緒に買わされたものだ。
ぼろぼろの表紙の分厚い本で、作者も、出版された所も判らない。ただその活字の形から、大体百年位昔のものと推定できるだけだ。
おかしな本で、内容は、題名と全く関係がない。落丁があって判り難いが、書
かれているのは、多分、豚の育て方であろう。
飼料である落花生の良否から、豚小屋の設計まで、くわしく易しく述べられている。
それらは、しかし行われなかった事柄ばかりである。例えば、豚の入浴に就いてだが、華氏百五十度に沸かした塩水に、飼主がその豚の鼻孔を手巾で押え、正午から日の入りまで、共に入っていなければならぬ、と書いてある。
それが必要だと考えるものはあるまい。
そんな調子で、全ての豚の生活への提言が、次から次へとつづいているのだ。
そうして、そのどの頁をも、おそろしく下手な一枚のさし絵が飾っている。実は、私が、この書物を愛するのは、その故でもあるが、要するに、みんな同じもので、日の当たる一本の円い樹を背景に、一人の男が、よく太った豚を抱いて、笑っているものである。
男の笑顔は、殆ど豚の顔だが、よく見ると、その足元に、同じように一人の子供が、小さな子豚を抱いて笑っているのだ。
それを眺めていると、何故か、私はひどく幸福な気分になる。柄の取れた火桶のように、一切を許して悔いなくなるのだ。
「世界の構造」について作者が知っていたことを、私もおそらく知りそめている。
この書物を、私に売った古物屋の女房も、その時、そう言って、私の貧しい財布を取りあげたのである。

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粕谷氏の詩は、怖いものが殆んどです。
第一行目から何か様子がおかしい時と、最初は普通の文章だったのに気付いたら異常になっていくものと両方あり、僕は特に後者に恐怖を感じます。
粕谷氏は前回の石原吉郎氏の友人で同人「ロシナンテ」での盟友です。さらに叔父さんも詩人でかなり環境に恵まれている人です。上で紹介した作品を表題とする第一詩集でいきなり高見順賞を授賞。本人も驚く快挙を成し遂げます。

さてこの方の詩の怖さは「日常からほんの少ししかずれてないところ」にあります。気付いたら狂っている。
僕らの精神のある面に、ある程度の狂気は必ず潜んでいて、それをコントロールするのが理性や思い遣り常識だと思うのですが、粕谷氏の文章には狂気への葛藤が微塵もなく、気付いたら狂っている、もしくは狂っていることに気付いていないのです。
自分が狂っていることに気付いていない可能性を100%否定するのは本当に至難の業です。かなりの自己管理能力と客観性を持たなければなりません。それでいて、必ずどこかには他者とのズレは発生するのでそこを調整していかなければ社会で生きていくのは難しいはずですが、粕谷氏はそこをさらっと超えてくる。普通に狂っている、と言っても良いかもしれません。正しい方がおかしい、と言う気になるのです。

是非丸々一冊詩集を読んでみてください。自身の正気が試される詩人です。

#詩 #現代詩 #粕谷栄市 #感想文 #世界の構造

いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。