【車に轢かれて詩集を出すことに決めた話】1/3
詩の同人誌の編集長である筆者の事故体験談を書いてます。全3テキスト。この章のみで約3850文字・平均所要時間8分程度です。
―――――――――――――
「日本の平均寿命である83歳まで生きた場合、車に轢かれる確率は35.8%」という試算をどこかで読んだことがある。3人に1人は楽勝で轢かれることになる。
打率3割5分8厘。人生というスラッガーは、相当な巧打者でもあるようだ。でも、どこかで読んだだけのそんな数値は、僕には無関係だと思っていた。ーーーあの雨の夕暮までは。
昨年の僕の誕生日の一週間後である10月10日のことだった。20世紀末までは「体育の日」と呼ばれていた日付である。
そんな一見ヘルシーな日の午後6時、僕は妊娠8ヶ月の妻を家に残して、そぼ降る雨の中、近所の美容院に散髪に出掛けた。
髪がさっぱりすると、その足でスーパーに水を汲みに向かった。その日は肌寒くて、僕は紺色の薄手のコートを着ていた。
(自分的に)お洒落でお気に入りのコートだ。傘はブラックウォッチ。そう言えば美容院帰りだというのに黒いハットも被っていた。パンツは黒。靴も黒。整った襟足に秋の風が冷たい。
この文章をお読みの方の中には、日頃水を汲みに行かない方もあろうと思う。なんと我が家の近くのスーパーでは、3.8リットルのボトルを買うと綺麗で美味しい水が(無論機械から)汲み放題なのである。良いでしょ。
水を無事2本のボトルに満たし終え、専用の撥水性バッグにそれらを仕舞うと、僕は夕餉の支度をして待ってくれている妻の元へと足早に向かった。
そのスーパーの駐車場はゴミゴミしていて歩行者にとっての死角が有り、細心の注意を払って歩かねばならない。
しかも何か知らんがこの近辺のドライバーは強気で、徐行の場所でもガンガン来る。僕は合計8リットル弱の水を左手に、右手に傘を携えて、そのマインフィールドを慎重に越えた。
駐車場の先は、二車線かつ時差式の信号もある見晴らしの良い交差点で、僕はその交差点の横断歩道を青信号ですたすたすたと渡った。
そこを過ぎれば我が家まで、ものの5分である。
その時、交差点を右折して僕の方に向かってくる黒い軽自動車が視界に入った。
達人ならばひょいと避けられたのだろうが、約8キロの水と傘、そして先ほど難なく地雷原を越えた自分の幸運度への過信が、僕をその場に居付かせた。どうせ止まるでしょ。
しかし、それは止まらなかった。いやもうなんなら僕の前でがっつり加速した。35.8%に入る瞬間を感じた。文句のつけようの無い内野安打。そして僕はすっとんだ。
毎日エグ目のスクワットと独特の気功体操で体を鍛えている僕ですら、まあ、転がった。すっ飛ぶ傘。転がるハット。粉々のヘッドライト。割れたボトルに降る氷雨。
受け身を取らねば!と思ったが、ダメだった。良く分からないが体がぼいーんと跳ねて左側頭部がアスファルトに打ち付けられる衝撃があった。あんまり痛みは感じない。
どうするべきか考えるために寝転がっていると、運転手が降りてきた。おばちゃんだ。ギリギリおばあちゃんと言っても良いかも知れない。
僕はよろよろと起き上がった。まっすぐ立てない僕におば(あ)ちゃんはこう言った。
「わたし、轢きました?」
YES!!
この上ないイエスである。
僕は頑張って答えた。
「、、そうですね」
「ですよね、、」
えー?その質問要るー?
しばらく縁石に座ったり、僕を撥ね飛ばした車の後部座席に座らせてもらったりしていた。じき救急車とパトカーが来た。僕は骨の折れた傘とハットとボトルを抱えた状態で消防士さんの助けを借りて救急車に乗り込んだ。
指先に、脈だか血中酸素濃度だかを計る機械が取り付けられ、血圧や意識レベルのチェックがあった。
その後、お巡りさんも救急車内に現れ、僕自身について、事故の状況について、家族が病院まで迎えに来られるか、個人情報を加害者に伝えても良いか、最近熱が出たりコロナ患者との濃厚接触は無かったか等の質問を受けた。
僕は出来るだけ明瞭に答えたつもりだったが、右と左が分からなくなっており、お巡りさんをかなり混乱させた。
質問に答え終わると、しばらく受け入れ先の病院を探している時間があった。その際、僕を轢いたおば(あ)ちゃんは「僕の事が見えなかった。急に現れた」ということを言っていたとお巡りさんに聞いた。
急には現れません。
お洒落かなと思って着ていた落ち着いたトーンのコートや靴が仇になった。お洒落は我慢、とは良く言ったものである。
あと、家族は身重なので病院には来られない旨を告げたときのその場の全員の「Oh...」と言う空気が身に沁みた。
ちなみに、事故現場は最寄りの大病院からジョグ5分という好立地だったが、その病院はタッチの差で他の交通事故患者の受け入れで埋まってしまったと言う。何て日だ。
隣町の大病院に決まりましたので、そちらに向かいますと救急車の運転手さんが言った。僕は遠ざかる見慣れた町並みを目で追いながら妻に電話を掛けた。「ごめん、車に轢かれて救急搬送されちゃった、、」絶句の気配。そうよね。
僕の帰りが遅くて心配していたのがひしひしと伝わってくる。取り敢えず大丈夫そうだけれども頭を打ったから念のため検査する旨と、進捗あり次第連絡するので先に夕食を済ませていてほしい旨を伝えて僕は電話を切った。
その頃くらいから何やら体が痛くなってきていた。消防士さんが、水のボトルが在ったお陰で怪我がそこまで酷くならなかったのだと教えてくれた。水汲みに行ってなかったら轢かれてないのでプラマイゼロである。
病院に着くと、救急の診察室に導かれ、外傷の手当(右腿の外側と掌がめちゃめちゃに擦り剥けていた)やその他の患部の自覚症状についての問診があり、頭と胸のCTスキャンを撮ることになった。
撮影が終わると、営業時感外の暗い診察室で
医師がノートPCのモニタに映った僕の上半身及び頭部の画像を見せながら異状箇所について説明してくれた。
「まず、こちら、、頭部は大丈夫です。頭蓋骨の骨折も内出血も見られません。ただ、頭の怪我は数ヶ月経ってから症状が出る場合があります。今後吐き気や酷い頭痛がするようなら、すぐに受診してください。」
何それ怖い。
「次に、これが肋骨と首なのですが」
綺麗だ。素人目にも特におおごとでは無さそうなのが分かる(気がする)。
「ここの頸椎の3番目のところ、、ちょっと変形してしまってますね、、」
え?実は気付かないうちにそんなダメージが、、不安を抱いた僕に医師は言い放つ。
「スマホ首です」
事故が関係ない!!
右の脇の下くらいが痛いんですけど、、と訴えた僕に医師は3Dのレントゲン画像をぐるぐる回して見せたあと、「特にヒビも入ってないですね」とクールな一言をくださった。
万一ヒビが入っていたとしても、肋骨は処置のしようがないとのこと。これから定期的に治癒の経過をこの病院で観察する必要があるそうなので、二日後に予約を取って、痛みが酷いようならその時に痛み止めを処方してもらうことにした。スマホ首て。
僕は診察料1万円を現金で支払って、とぼとぼと隣町から電車で帰った。なんで轢かれたのに諭吉さん払ってるの僕。
帰り道、見知らぬ番号から電話が掛かってきた。傘と水のバッグを抱え、痛む脇胸をさすりながなら出てみると、加害者のおば(あ)ちゃんからのお詫びとお見舞いの電話であった。
そう言えば救急車の中で、電話番号をお巡りさんに伝えていたし、それを相手かたに伝えても良いと言った気がする。僕はそういう時どんな顔をして良いか分からなかったので、取り敢えず僕よりテンパってるおば(あ)ちゃんを慰めることにした。
まあ、たいしたこと無さそうですし、お気になさらずに、、(気にされなくてもイヤだが。)出来るだけ柔らかい口調は保ちつつ、僕は手短に電話を切った。
そして思い出した。あ、明日Go To Travel の日帰りで詩人の先輩や仲間たちと仙台に行く約束だった、、どうしよう、、
その直後、おば(あ)ちゃんの加入していた保険会社の人からお見舞いと今後の流れの連絡があった。その人の話によると、諭吉さんは次回診察時に返ってきてくれると言う。ほっとした。もうすぐ生まれ来る赤ちゃんのために、お金は出来るだけ温存したいのが人情だろう。
ともかく帰り道も事故現場の交差点を通らなければならない。流石に体がすくむ。うむむ。この先毎日ここを通る度にすくむのか我が神経よ。そんなことを考えながら家に帰り着くと、身重の妻が泣きながら待っていた。
病院からの帰途でふつふつと醸成され始めたおば(あ)ちゃんへの怒りが形になったのを感じた。僕が痛い目にあうのは構わない(構うけど)。
ただ、妻を泣かせた罪は重い。轢かれたのが僕ではなく妻だったらと思うだけでぞっとする。
僕の心の中のナオキ・ハンザワが、今や禁止されて久しいと聞く飲み会の一気コールのように「ばっい返し!ばっい返し!」と叫んでいる。(この文章は妻の承認を受けて投稿しています)
僕は「示談金」とか「事故にあった時」とか「弁護士」とか「見舞金」とか「ストレートネックの直し方」とか、滅茶苦茶にGoogle先生に尋ねまくった。
どうすればあの おば(あ)ちゃんを海より深く反省させ、二度とこのような事が起こらないようにすべきか。
まあ、そもそも事故直後、結構おば(あ)ちゃんは申し訳なさそうな感じではあったのだが、それでは足りぬ。二度と「わたしが轢きました?」などと言う愚問が天の下で問われてはならぬのだ。
横になって休んでいる妻の心配の視線を感じながら、僕は怒ったり考えたり調べたり脇胸痛がったりしつつ、翌日の仙台日帰り旅行に備えたのだった。
つづく
この記事が参加している募集
いつか詩集を出したいと思っています。その資金に充てさせていただきますので、よろしければサポートをお願いいたします。