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ココロ:愛を乞うから愛を感じるようになるまで


だいぶ昔、5年ほど前のことだけれども
『愛を乞うひと』というドラマがありました

それをなんだか思い出したので
ちょい振り返ってみるね

これ、当時は胃が痛かった(#)ω•̥`)

何故かって、このドラマに出てくる
照美の母親は他界した親父とよく似てたから 笑



俺は両親が離婚し、母子家庭になり、
再婚するにあたり
苗字が秋吉→中田→佐久間と変わったんだけど。
そこは対して問題じゃないけど(*´艸`*)

ちなみに母子家庭のころは、小学2年から
学校帰りは真っ直ぐ帰り、洗濯物をとりこみ、たたみ
風呂掃除をしてから、ご飯を炊き、味噌汁を作るのが日課だった

甘いものなんか食べれないどころか、おかずもままなら無かったけれど、実は貧乏極まりなかった、その頃が人生の中でも相当に

幸せだった

(ちなみに反抗期や不良の経験はない)

よって、小学生だから、何できないとか
貧乏だから、やさぐれるとかは単なる言い訳だと思ってる 笑




ま、話は戻って

親父が母親と再婚する際に
『母子家庭じゃ子供を高校に入れられないだろう。だから一緒にならないか?』と言って
それを軸に母親は再婚を決めた

でも、蓋をあけると

親父は仕事しない
博打ばかりして借金膨らます
浮気は当たり前
毎日、外に繰り出しては酒を浴びるほど呑み、ちょっとでも自分と意見があわないと道端でも派手に喧嘩する
ビール瓶で相手の頭を叩くなどなど

そんな父親だった ( Ꙩꙩ )!!

家の中でも自分が気に入らない事があったら
母親に暴言や暴力を繰り返し、
母親が堪らず実家に電話しようとしたら
電話のコードを引きちぎるというビックリな行動にも出たし、物は投げつけるし、壊れるし
そりゃ…なかなかだった



そんな中、俺が大学に行きたいと言った時も
『大学なんて行く意味ない』と怒り
『仕事しろ』と言い放ち、それでも行きたいと
言うと『勝手にしろ』と言いながら

近所の親戚には
『あいつはうちに金がないのに、自己中にも大学に行きたいと言っている、本当にわかってない』
と言いふらしまくった

もちろん、親父は最初から金を出す気持ちなんて
さらさらなかった

お陰さまで、俺…さらには母親まで親戚中から
『再婚して佐久間の家に入って、お金がないといってるのに、そこから貪ろうとしてる酷い親子だ』と詰られ続けた



だから、俺は浪人する事にした

併願する分も含めて
受験料や入学金やら大学に入るためにかかる
お金を全部、高校二年生からバイトで稼いだ

ようやく貯まり大学に入った後も
深夜にバイトをして四年間の授業料を全部
自分で稼いだ
『苦学生』と思われるのも嫌だったので
遊び代も稼いだ

そんな中でも親戚からも親父からも
『自己中で酷い奴』というレッテルは続いた

何しろ親戚は大学の受験料も親父から貰い
挙句に夜に家に帰ってこないヤツという
になったままだったから



そして、新聞代や携帯代、食事代も自分で稼ぐようになり、どんどん佐久間から離れていった

佐久間に居たくなかった



どんどん、どんどん
甘え方がわからなくなり、頼り方がわからなく
なっていった

自分でなんでもやってやる!と思い込みながら
どんどん自分を窮屈にしていってた



そんな俺が
数年前に親父の事を愛おしいと思えるようになっていた
いや、嫌いなとこは嫌いだけど
嫌いなところを含めて愛おしいと感じるようになったんだ

それは、一つは鬱(7、8年前)になれた事

自分がなんにもできなくなっても
愛してくれる人がいるのだと実感できた事
そうして何もできなくても
自分は生きてるだけで愛される存在なんだと
確信した事

それと、親父は親父らしく
親父なりに愛情を注ぎ続けていたのだと
気づけた事

親父は滅茶苦茶だったけれど
養子縁組を解消しようとはしなかった

出ていけ!と言っても
父親でいる事を棄てはしなかった

単純に価値観が違うだけだと気づけた事

自分が『正しい』と思い込んでいる
愛とか育て方に信念をもってるだけだという事

そこに『愛』はあった

最初からずっと愛があった

気づけなかったのは俺のほうだった
単純に俺が『愛を乞うひと』だった

だから。

嫌いも含めて『愛おしい存在』になってる



まるまる愛していられる自分と出逢えて
いまの俺は身軽になってる

親父にも本音で語り合える時期が持てた

そして、まるまるの自分を愛する事で
甘える事ができている

なんでも自分がやらなきゃと思い込んでいた
頃の自分と今の自分はまるで別人だ
(これでもね 笑)

なんでもないような奇跡的な日常も
其処此処にも愛で溢れているのだと感じる



ここまでになるのに
だいぶ遠回りをした

でも、言えるのは

今、何か信じられない物や人がいても
いつかは

まるまる愛せる自分に
誰でも出逢えるって事。

焦らなくても、意識しなくても
時が優しく、それを運んできてくれる。

生きてる事こそ最高のプレゼントだと
気づける事。

愛を乞うひとも
愛を感じられるひとになれるんだって事

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