今回は主に祖母の話をしようと思う。母方の祖母で、母方の祖父は他界して透析とデイケアに通いながら一人で暮らしている。
よく病院や施設の方からは『大人しくて可愛らしいお婆ちゃん』などと言われているが、私から見れば悪魔のような存在だ。
 多忙の母に代わって育てて貰ってはいたが、その恩を上回る程の憎悪が私にはある。今回は何故私がそこまで祖母を憎んでいるのかを書き起こそうと思う。

 祖母に預けられた幼い私は祖父母の決めた規則正しい生活を送っており、夏休みには祖父母宅の近所の子供に混ざってラジオ体操をした。出される食事は少し独特な味がしたが、少しでも行儀悪くすれば怒声か棒状のもので叩かれるような感じだ。
 元々、父はすぐ手を上げる人間で母はよく怒鳴る人間だったので、そういった事は全く苦ではなかった。
だが、幼い頃から今も祖母がよく語っている言葉だけは耐えられない。

「私はまだあなたとお父さんとお母さんの結婚、認めてないから」
「結婚しなきゃ良かったのにね」

 最初に聞いた時はまだこの言葉の意味を理解出来なかったが、顔を会わせる度に父や母がいない時を狙って必ず言うのだ。
父と母の間には私を含め子供が3人いる上、今はもう2人が成人しているにも関わらず言い続けるその精神。それを異常だと言わずして何が正常なのだろうか。
 さらには両親や祖父、姉妹が近くにおらず祖母と二人きりになった瞬間を狙って、私の顔を怪訝そうな顔で染々とこう言うのだ。

「やっぱりお前は△△家の人間の顔をしている」
「お前は○○家の顔立ちではないからね」

 ここで言う△△家というのは私の父方の家系のことで、○○家というのは母方の家系のことである。実際、長子と末子は母に似で私は父に似ている。
 しかし親子ならその程度当然な筈だが、祖母にとって父は忌々しくも恨めしい存在で、その存在と顔立ちが似ている私は父と同じように認めていないのだろう。
齢一桁の子供にそんな言葉を投げ掛け、今も続けているのが何よりの証拠だ。
恐らく祖母と私は世間一般的な祖母と孫の関係ではないだろう。他所の家庭でも物語でもこんな祖母はこの人間しか見たことがない。

 それとも私の解釈が間違っているのだろうか。
祖母から見て私は孫という存在な筈だが、父と母の関係を根底から批判するのは私という孫の存在も否定するのと同義ではないかと私は思っている。
そしてこの存在の否定を十数年も聞かされ、憎悪を抱かないのは無理なのではなかろうか。実際、私には無理だった。

 私が祖母に対して本格的な嫌悪感と憎悪の感情を持ったのは高校生の頃、持病が悪化したのと合わせ精神崩壊した末に中退した私に対してこう言い放った時だ。

「頑張りが足りない、恥晒し、みっともない」

 確かに学歴社会とも言われる現代社会において、高校中退はとんでもない悪手であることは重々承知の上だった。しかし、生きるか死ぬかで生きることを選んだ私に向かって、久しぶりに会って開口一番に上記の言葉を投げ掛けたのだ。
 今まで何度も存在を否定するような発言をしてきた祖母だが、ここまではっきりと言われたのはこの時が初めてだった。
 もしこの祖母という人間に対して負の感情を抱かない方がいれば、是非とも私に関わらないでほしい。お互いの為にならないからだ。

 残念なことに、祖母について負の感情を抱く出来事はまだある。それは年末のお節料理を私に作らせることだ。
 祖母や私たち家族が食べる分を作るのはまだ理解出来るが、何十年もある人との『約束だから』と作っていたものを私を巻き込むのはどうかと思う。
 確かに誰かとの約束を守ることはとても大切であり、果たすのが義務である時もある。しかし、自分の約束で血が繋がっているとは言え、約束事と無関係な人間を巻き込むのは非常識なのではなかろうか。
 年々衰えつつある祖母の約束というのは、自分が生きている間は無償でお節料理を作らなければならないというものだ。私にとってそれは美談などではなく、大きな呪縛となっている。
 しかし肝心の相手は『もういい』と言っており、お互いに老齢で食事制限もあってあまり多くも食べれないと語っているにも関わらずだ。
 だが頑固な祖母は意地でも作ると言い張り、家族の中で一番料理の経験がある私が呼び出される事となった。一番最初に呼び出されたのは先述の高校中退後の出来事である為、内心は最悪で持病も穏やかにはなっていない頃だ。
 お節料理を作る期間はクリスマス当日かその翌日から年越しまでで、その間に予定を入れてはいけない事となっている。更にこれは祖母が亡くなるまで続く為、私にはもう恋愛は無理だろうなと諦めた。
祖母が亡くなる前に私が亡くならない保証はどこにもないからだ。
 さて、ここからはどのようにしてお節を作っているのかを簡単に書き記しておこう。
 老齢にもなれば手が動かしにくくなるとは言うが、それでも祖母は無理矢理に料理を作ろうとするので常に目が離せない。祖母が少しでも怪我をすれば怒鳴られるのは私なのだ、例え嫌いな人間でも怪我をされては困る。
 あまりにも手付きが危なっかしいので、野菜の飾り切りや椎茸などの切り込みは私がする事にした。しかしそれを境に、私の負担がどんどん増えていったのは言うまでもない。
 レンコンやニンジンなどの野菜を一つ一つ味付けし、こんにゃくや昆布などもそれぞれ味を染み込ませる。数日かけて味をつける為、全て別の鍋を準備してコンロで代わる代わる火をかけなければならない。
 煮込みが一段落すれば、今度は卵や魚を焼いたりエビフライや唐揚げなどの揚げ物を作ったりする。場合によってはウインナーやピーマンの炒め物も作らなければならない。
 それらが終われば次に米を10合程炊き、太巻きといなり寿司を作る。それから盛り付けといった流れを1週間弱で、介護込みでこなさなければならない。
今はまだ味付けを祖母に任せられるから良いが、その内全てを任されるのではなかろうかとも思っている。しかし、祖母のお節作りに反対している父と母を見るに、その危惧が実現するのは五分五分くらいだろうと予想している。
 父と母が反対しているのも理由がある。お節に使う食材は母が休みの日に買い出しに行く決まりだが、せっかちな祖母は勝手に通販で注文してしまうのだ。更に、目についた食材を業者の如く買おうとする。そして祖母の年金はほぼ病院や施設で消える為、食材の全額が我が家の負担となっている。
父と母が反対しているのは以上の事だろうと思うが、それならいっそ祖母を説得なりしてもう止めさせた方が良いのではなかろうか。
 個人的には、私が祖母の家にいる間用に作り置きした料理の確認やお節の盛りつけ、シンクに貯まった食器を片付けたりと休めない。
 料理以外で特に困っているのが、私が持病でその場から動けなくなっている間に台所へ行き、料理しようとする事である。
怪我をされては祖母も私も困るというのに、自ら危険な事をするのはやはり理解出来ない。
 今年はどうなる事やら、最近はせん妄まで現れ始めたので今から年末が不安で仕方がない。

 とは言え、いくら憎悪を抱いていたとしてもそれを祖母に伝える事はない。きっとあの人間は死んでも私を『心優しい親切な孫』として記憶し、この世から消え去るだろう。
祖母が父や母、病院や施設の方に対して猫を被っていたように。

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