10

 これまで暗いだけの話を続けてしまったので、今回はやや暗いだけの話をしようと思う。私の緩やかな希死念慮についてだ。
題材からして気分を害してしまう恐れしかない為、読む場合は無理のない範囲で読み進めてもらえるとありがたい。


 ここで予め書いておくが、私自身は自殺がしたいわけではない。だから『希死念慮』と書いたが、そこに強い自殺願望があるわけでも実行する気も今のところない。
ただ、今の状況から逃れられるのなら死を選んでもいいのでは、と思う時も少なくない。そんな毎日が数年続いている。
 この「10」だけを読んだのなら知らないと思うが、私の二十年と少しの人生は周囲の自分勝手な皺寄せと辻褄合わせとエゴで固められており、それらを隠し通したが故に第三者からは理解も心も無い叱責を浴びせられている。しかし、それらは今回の本題ではないので詳しい部分は割愛させていただく。気になったのなら読んでみると良い。あなたが求めているものが見つかれば幸いだ。

 さて、ここで書く希死念慮というのは『もし〇〇が起こったとして、その副産物のように私が死んだらどうだろうか』や『これがもし○○だったら死んでしまうだろう』と言った所謂≪たられば話≫だ。
実際、そういう≪たられば話≫を思い浮かべた人はそう少なくはないだろう。と、私はこれまた自分勝手に思っている。

 起きた後。
窓の外から自分の方へ車が突っ込んできたら死ねるだろうか。
何かの拍子で割れたガラスが体に刺されば死ねるだろうか。
寝ぼけてどこか大怪我をしてそのまま意識を失えば死ねるだろうか。
家に飛行機でも墜落すれば死ねるだろうか。

 料理中。
高温の油を頭から被ったら死ねるだろうか。
包丁で動脈を切ってしまえば死ねるだろうか。
圧力鍋が故障して爆発でもすれば死ねるだろうか。
小麦粉を部屋中に撒き散らしてコンロの火を点ければ死ねるだろうか。

 車の中。
走行中にドアを開けて外に飛び出したら死ねるだろうか。
高速道路やトンネルで頭だけだしても死ねるだろうか。
道を曲がったタイミングで暴走車と激突したら死ねるだろうか。

 眠る前。
このまま完全に意識を手放したら楽に死ねるだろうか。
このまま眠りから覚めなければ気持ちよく死ねるだろうか。
寝ている間に災害でも起きたらそれらに埋もれて死ねるだろうか。
寝ている間に誰かが私を殺したらちゃんと死ねるだろうか。

 最近はそんな突拍子も脈略もない事ばかり考える。
学生の頃は考えないようにしていた事が、成人して沸々と湧くようになってきたのはどうしてだろう。原因になりえる事柄が多すぎてわからない。何も。
 一つだけ確かなのは、毎日それだけ思っていてもそれらの一つも実現されないという事だ。そして、私がいなくなったところで喜ぶ人だっているという事。少なくとも家族に一人いる。
 だが、その一人を除いて家族は全員それなりに悲しむだろう。特に母は『都合のいい人形』が消えてこの上なく悲しむかもしれないが、多額の保険金でも掴まされれば涙も止まるだろう。
 更に、ありがたい事に私を大切だと思っている人間も少なからずいる。彼ら彼女らには言葉で言い表せないほど感謝している。
私を大切だと思う彼ら彼女らの為に、と言えば虫のいい言葉に聞こえるだろう。明確な結論も正解もない題材であるが故にこんな表現しか出来ないのだ。

 はっきりしない言葉ばかり並べたが、私自身は死ぬつもりはない。これだけははっきりと言える。
それと同時に、はっきりと『楽なんだろうな』と思えるのも死という選択なのだ。
その程度の、やや薄暗いだけの粗末な感情である。

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