家族の事をもう半分くらいは書いたので、次は学生時代の私を書こうと思う。
例によって良い思い出などはほんの指先一欠片、それでもどうにか笑顔を浮かべて通っていた頃の話である。

 親から食事を作るように言いつけられて数ヵ月経った頃、私の手に異変が起きたのだ。端的に言えば、食器を手洗いしていた為か手が酷く荒れたのだった。
 当然、外見を気にする母は私を皮膚科に連れて行き、その車内で何度も言われた。
「どうしてそうなってしまうの」
「ママはなった事ないのに」
しかし、皮膚科に着いて受診しても担当医は首を傾げる一方だ。
「うーん、何だろうね。これ」
確かこんな感じの投げやりな言葉を掛けられ、その日はそれらしい軟膏を処方されて帰宅となった。
 私の手荒れは汗疱という症状だと知ったのは、つい最近の事である。当時は汗疱が手全体に広がっており、それでも洗い物や学校での手洗い場掃除や雑巾がけなどする内に全て破れ汗疱状湿疹となったのだった。
 当然ながら、汗疱が破れてしまえば肉がそのまま空気に触れる状態になる。そこに雑巾などから雑菌が入り更に手が荒れ、水に触れるだけでも痛みや痒みが伴うようになった。
 当時一番辛かったのは水泳の授業だ。一度でも水に触れれば痛む手でどう泳げというのだろうか。
 それから私はよく水泳の授業を休むようになった。幸いにも手荒れに理解のあった教員が担任になった年は平穏に過ぎたが、小6の担任はそれに理解がなかったので休む事が難しくなったのだ。
と言うのも、水泳の授業を受ける日は専用のカードにその日の体温や保護者の印鑑を押したものを提出し、見学する場合はそこに理由を書く必要があった。
これまでは見学理由に『皮膚が荒れている為』と母に書いてもらっていたが、それを見た小6の時の担任はこう言ったのを覚えている。
「アトピーとかじゃないなら入れる」
「人に移らないから入りなさい」
何とも言い難い言葉だ。誰にも私の痛みを本当に理解出来ないとは思っていたが、ここまで的外れな事を言われるとは思っていなかった。
しかし、そう言われても元から休む予定だった水泳だ。水着など持って来ていないので入る事は出来ない、そう担任に伝えると少し考えたように唸りこう言った。
「もしかして生理なの?」
この一言で目の前の人間を信頼出来なくなったのは言うまでもない。今では顔も名前もうろ覚えだ。

 そして、手荒れが原因で私はいじめのようなものを受けた。
ようなもの、と言ったのはいじめて来た相手を真っ向から否定したり拒否したからだろう。
「こいつが触ったものに菌が移ってるぞー!」
「きったねー!」
などという幼稚な言葉を投げ掛けてくる男子。単純に気に入らないから無視する女子。
 幼稚な言葉を投げ掛けてくる者には、それならいっそ私にあるという菌で殺してやるという気概でいた。
私の物を持って走り去る者には全力で応戦したが、先生が戻ってくる頃合いを見計らって切り上げるなどした。私の物を持って走り回っていれば、誰が見てもその者が悪く見えるだろう。
 無視してくる女子にはこちらを無視していたが、それを気に入らないと身勝手にも怒る者もいた。先に無視したのはそちらであり、私にも無視する権利はあると理解していなかったらしい。
 一度だけその内の一人に話し掛けられ、返事しろと強く言われたので「あなたは誰ですか」と一言返したら泣いてしまった。私に害をなす人間を覚える必要などあるのだろうか、家では常にストレスが貯まっているというのに。
そういう事があって掃除や給食当番が私と被ればサボる者もおり、先生に聞かれた時は素直に「友達と喋ってます」と答えていた。
 しかし、そんな私でも友達はおり、休み時間には趣味の話に花を咲かせる。放課後や休日も短い時間だが遊んでくれる優しい友人たちだ。
だが、どれだけ優しいと分かっていても、私の家庭での事を相談出来る間柄にはなれなかった。

 中学生になってからはいじめのようなものも落ち着き、敵対意識を向けてくるのもほんの一部の人間だけになっていた。
と言うのも、私が通っていた中学校ではある教員に気に入られている生徒は待遇が良く、生徒内での派閥争いにも優位な立場になれるのだ。つまり、私はその先生に気に入られたのだった。
 どういう経緯で気に入られたのかは不明だが、気に入られて損する事は少ないのでこれを受け入れた。こちらから教員に対して何かする事もなく、一方的にあちらが絡みたい時に絡んでくる間柄だ。
お世辞のように容姿を褒める言葉をかけてくるが、私の容姿は母がそうあれとして作ってきたものである。内心良い心地はしない。

 そして中学生になってから大きく変わったのは、いじめのようなものの内容である。
当時、私に関して奇妙な噂が学校中に流れていたのを覚えている。
「あいつを怒らせると呪い殺される」
「あいつの機嫌を損ねたら強力な背後霊が復讐にくる」
「あいつの髪にはお守りのような効果がある」
その噂のせいか、他学年の生徒からもやや避けるような態度をとられるようになり、敬称を必ずつけられるようになっていた。そして時折、廊下を歩いている時などに背後で誰かが歩きながら拝むような言葉をかけてくる。
 そして、極めつけは授業中や休み時間など、私の後ろの席の人間が私の髪を引き抜くのだった。最初にされた時は意味が分からず、椅子か何かに引っ掻けて抜けたのだと思っていたが違ったらしい。
それから何度か引き抜かれ、その日は終わった。
正直なところ、手の痛みや精神的な疲労で感覚が麻痺していたのかもしれない。ただいたずらに引き抜いてくる奴は無視するしかないと放置し、次の席替えでそれは終わった。

 未だに理解出来ないのが、髪を引き抜く行為である。
私の髪がほしいだけなら直接言えば良いものを、本人の確認も取らずに授業中引き抜いてくる浅ましさ。人間性を疑う他ない。
 私の感覚が狂っているのか、それとも正しいのか。客観的に見ても私が正しく思えるのは認知のズレなのだろうか。
結論が出るのはまだ先の事だろう。

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