さて、ここまで他人よりほんの少し不幸な生い立ちを語った私だが、今回はこれまでの文章内で見え隠れしていた宗教について書いていこうと思う。
法に触れるような宗教ではないが、世間一般的というには憚られる。そう言った内容になるだろう。

 始めに言ってしまうが、私には信仰心はない。
これまで書き記した文章からも伝わる通り、自分や自分にとって大切な人以外には関心がない。それは神や祖先などに対しても同じだ。
 そんな私が幼い頃から入れられている宗教は、読経し先祖を供養することで自分も幸を得ることが出来るというものだ。正直なところ、自分勝手極まりないエゴイズムの塊だと思う。

 この宗教は父の家系が受け継いでいかなければならないらしく、父方の祖父母の次は両親が継ぎ、その次を子供である私たち3人の誰かが継がなければならないらしい。私が産まれてきたのも、今こうして生かされているのもそれが理由だと言っても過言ではないだろう。
 幼い頃は読経したり宗教施設の清掃当番を手伝ったりすれば両親も祖父母も喜び、お菓子やジュースをくれた。どちらも幼い私はあまり貰えないものだった為、それを貰う為に率先して行っていた。

 いくつかある集団の1つを束ねている祖父母だが、私には両親が二人を越える事も並ぶ事も無理だと思っている。
 実際には見たことはないが、祖母はイタコだと母が語っていた。どれだけ祖母と離れていても先祖を通して私たち家族を見守っているとの事らしい。
もし見えているなら児童保護施設にでも連絡してほしいものだと思ったが、私たちの親権が他者に渡り跡継ぎがいなくなるのは嫌なのかもしれない。口先だけの優しさは幼い心を曇らせるには充分だった。
 一方で祖父は神通力が使えるのだという。こうして文章にすると胡散臭いのだが、実際に目にしている事もあるので虚言ではないと思っている。
祖父の周囲には不思議な空気が流れており、ただそこにいるだけで存在感があるのだ。少し離れた場所でも祖父がいるのだと分かる程で、宗教施設でよく迷っている私の道標となっている。
極めつけは祖父が読経する時である、溶けた蝋が真横に伸びていくのだ。まるで手品のようだが、確かに蝋燭からじわじわと伸びているのを見ては何も言えない。
 そんな二人と自分の両親を比べ、とてもではないが同列にはなれないだろうと思っている。
私が知る限り両親にはそういったものに関する話題は避けている節があるものの、少なくとも霊感多少がある程度だろう。
 末子は霊感やそういった類いのものは微塵もなく、産まれて1度も心霊現象に類するものにも遭遇したことがない程だ。祖父母や両親曰く、守護霊がとても強いのだという。
 長子は軽度の霊媒体質で、あまりいい噂を聞かない場所や神社仏閣の近くを歩くだけで体調不良を起こす。葬儀やお盆などの集まりの際でもそれは起きる為、少し不憫に思う。
 そして私はというと、見えるし聞こえるが相手の方から避ける。心霊現象は日常的に起こっているが、平静を保っていれば未然に防ぐことも出来る。
限度はあるが強く思った事がよく実現され、当てたいと思ったくじや抽選が当たったり嫌いな人間は大小様々な怪我を負った。
 こうして比べると、そういった立場になるのは私が妥当ではと思う人もいるかもしれない。しかし、田舎ではそうもいかないし私も望んでいない。
この場合、何が何でも長子が跡を継ぐことになり、間違っても私や末子には回ってこない。もし任されるとしたら、長子が亡くなるか家と離縁したらだろう。
 長子は私以上に無宗教家である上に体質を鑑みるに、とても堪えられるものではないだろうから継がないでほしいが、私や末子が継ぐのは憚られる。
なので、3人揃って家を出るのが全員にとって一番の理想。難しいことではあるが、叶えたい唯一の希望だ。

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