今まで当然のことだと思っていた事が、ふとした瞬間に酷く異質なのだと気づく事もある。当然、それは私にも起きた。
 認知の歪みとはよく言ったもので、一度でもそれに違和感を覚えてしまえば今までのようにはいられないのだ。
 私の身の上に起きたのは、父と母から与えられた枷と祖母の呪縛。どちらもごくごく普通の一般家庭でも起こっていることだと思い、今もなお受け入れて生きている。
いや、受け入れざるを得ない状態だから『仕方がない』や『どうしようもない』と思えてしまうのだ。
 これをいつまでも抱えて墓に持っていこうと考えていた学生時代もあったが、今となっては吐き出さずにはいられなくなっている。
これも何らかの変化なのだろうか、それとも一度精神を壊した事が原因だろう。後者の出来事は今回とはまた別件となるので、またいずれ。

  ·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·-·


 あれは私がまだ中学生だった頃、友人たちと下校している時にふと気づいてしまった最初の違和感。
きっかけは友人たちとの何気ない会話。
「今日の晩ご飯何かなー」
「うーん、私は△△にしようかな」
「いいなー!」
「私は昨日△△だったなぁ、美味しいよねー」
と、やや朧気ながらこういう会話をした記憶がある。一見何の変哲もない楽しげな会話だが、この会話文で私はどれだか分かるだろうか。
 正解は上から2番目の悩んでいる様子の会話文、それが当時の私。
友人たちは帰宅すればおやつが待っていて、宿題をしたり遊んでいたりするうちに夜ご飯だと言われ食卓へ向かうらしい。それが当然だと言う子もいた。
 しかし私は彼女らが語る『当然』には当てはまらない。
帰宅しても家に入れる保障はなく、おやつも自分で用意し夕食も作らねばならないからである。
 我が家では家の鍵を母が外出時に玄関先へ隠しておく決まりがあったが、よく些細な物忘れをする母はその決まりを忘れるのだった。
当然ながら、それは夏の酷暑でも冬の酷寒でも同じく忘れられ、両親のどちらかが帰宅するまで玄関先で待つか運良く空いていた窓から入るしかなかった。
 鍵を持たされた時期もあったが、両親のどちらかがが鍵をなくしたと言っては自分の鍵を渡さなければいけなかった為、状況が変わる事はなかった。
今思えば、先に帰宅するのは私である筈なので渡す必要はなかったのではなかろうか。今となっては遅い話だが。

 どうやって帰宅したにせよ、帰宅後にするのは夕食の調理だ。夕食を作らずに宿題などをしては叱られる、遊んでいれば壊されたり物を投げつけられる。
特に鍵がなく父を待って帰宅した日は急がねばならなかった。
 地方の田舎で育った方なら理解出来るかもしれないが、田舎では家庭内での『父親』という存在は絶対的なものである。『父親』が間違った発言や行動をしてもそれは正しいものとなり、命令は絶対に守らなければいけないものとなっている。
 私が遊びも宿題も後回しにして夕食を作るのも『父親の命令』というものが行使されており、その内容というのも『帰宅したらすぐご飯食べたい』というものだ。それが小学3年生頃から私に課せられた命令で、今も守らなければいけないものとなっている。

 ここまで読み、次のように不思議に思った方もいるだろう。『母親は作らない(手伝わない)のか』と。
残念ながら私の母は仕事で家にあまりいない部類の人間で、月に何度か全く会わない日があるくらいだ。そういう職種というわけでもなく、自分から仕事を増やすタイプで忙しい自分に酔っている様な人間だ。
 何故私が夕食を作り始めたのかはまた今度とするが、私が作り始めてから母が台所に立つ回数は年に10回以下まで落ちた。最近はそれより少なくなっているかもしれないが、正確に数えている訳ではないので省略させてもらう。
 私としては、必ずしも食卓に出す食事を母親が作る必要はなく、全てを手作りにする必要もないと思っている。同時に、食材管理や調達、調理も全て一人に任せるのも間違っていると思う。
 始めの頃は献立を考えるにしても調べる環境も時間もなく、ただ冷蔵庫にある野菜を炒めたり煮込んだりするしかなかった。その上あまり裕福ではない為、食材が足りない時は父の食事だけを作る事も少なくはない。
買い物へ行こうにもお小遣いは貰っていない私ではどうしようもなく、運良く母を捕まえられた時に買うしかない。それから帰宅後は買ってきた食材を早速調理する為、買い物はあまりゆっくり選ぶ余裕はなかった。
 こうしてどうにか毎日家族に出す為の食事を作っていて、段々と調理そのものが嫌いになってきていた。その内食事を見るのも嫌になりそうで、それを否定できない自分は既にいる。

 脱線し過ぎたので話を少し戻す。父の命令に関してだ。
そもそも『帰宅したらすぐご飯食べたい』というのは、誰しもが1度は浮かぶ願望の1つだと思う。私もそうだと嬉しいな、という思いはある。
しかし、それを一人の人間だけに、まだ8歳の子供に任せっきりにしようとは思わない。きっと多くの人が同じ意見を持っていることだろう。
だが現実ではこの命令が通り、今日までそれが続いている。
 理解出来るだろうか、夕食の準備を一人でこなさなければならない孤独感が。父が帰宅後には5分置きに「まだなの?」と聞いて来たり、料理がほぼ完成する頃合いに「今日は□□が食べたいなぁ」と言われたりした時の脱力感が。
あまつさえ出した食事に文句を言っては残したり、自分が食べた食器も下げないのだ。中学生になってからはこの人間は本当に父親なんだろうかとさえ思っていた。
 周りの友人や大人たちは自分の親が真っ当な人間なのか、親には尊敬や信頼の念を持つべきだと語る。私がここで父のことをはっきり言えばどうなるのだろうか、考えはしたものの実行した事はなかった。
きっとこれからも誰かに直接語ることはないだろう。

 そして、父が仕事に持っていく弁当を作るのも私だ。
出勤時間が不規則だがおおよそ朝5時には出勤していた為、それに合わせて起きて朝ご飯や弁当を作らなければならないのである。当然ながら、宿題やテスト勉強を遅くまでしていても言い訳にはならない。
 母は夜遅くに帰宅したり帰ってこない日があり、母が弁当を作る姿はあまり記憶に残っていない。学校行事などで私が弁当が必要な時は半々の割合で自分が作っていた程だ。
 さて、食事を5分も待てない父の弁当を作れなかった日や箸などを入れ忘れた日にはどうなるか、予想出来るだろうか。
帰宅後に一言も口を聞かずに物を投げつけたり、夕食を出せば食べないかひっくり返す。そして普段よりずっと早く寝る。
 私はただ謝ることしか出来ず、父が寝てから静かに散らかったものを片付けて明日の支度をし、無理矢理にでも早く起きなければと自身を脅して眠る。それが学生時代の毎日だ。

 それ以外にもストレスとなることは多くあり寝不足で勉強もあまり出来ず、教師からは不出来な子だと思われていた事だろう。実際私も思っていたが、置かれていた環境によってまともな精神ではなかった証拠に高校入学後で全て崩壊した。
 持病のアレルギー性鼻炎が悪化し副鼻腔炎となり、頭痛の痛みと精神的磨耗によって暫く水しか受け付けない状態となった。その後は掛かり付けの病院と心療内科に通って診断書を高校に提出し中退、1年の療養を経て別の高校へ入学し卒業して今に至る。

 もし、これが世の中では至極当たり前の事だとして、数えきれない程多くの人が同じような境遇を受け入れているのだとするなら教えてほしい。
そうだと言うのなら、私は当たり前の事で弱音を吐いては親を尊敬しない酷い人間だと割り切って生きられる。
こんなにも責められるに値する人間だと思えるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?