少し前に父はよく手が出る人だと書いたのを覚えているだろうか。あの事を少し掘り下げようと思う。
手が出やすい、とは一口に言っても色んな種類があるが、私の父の場合は暴力的な意味の方だ。
少々痛ましい表現も含む為、そういった内容が苦手なら閲覧を控えると良い。


 父が怒るのは何時だって些細なことが原因だ。
物心がついてから幼稚園生頃までの原因は以下の通りである。
・おもちゃを片付けていなかった
・靴を揃えていなかった
・父の目の届くところにゴミが落ちていた
・大きな声を出していた
これらは父が仕事から帰ってくるまでに終わらせなければならず、怒られるのは私を含めた子供2人である。末子に対しては怒鳴りこそすれども、私と比べるまでもなく溺愛しているので暴力を振るっているのを見たことがない。
自分が気を付けたり綺麗にしたつもりでも、父の目から見て片付いていなければそこは片付いていないのだ。
 そして、父が怒る時には必ず顔以外を平手で叩かれ、おもちゃやゴミがあればそれを投げつけられる。
 散々に叩いた最後には突き飛ばすように玄関の外へ押し出され、暗く冷たい外に這うように投げ捨てられた。
力強く閉まる玄関の扉はすぐさま鍵も掛けられ、暗闇で静かに泣くことしか許されない。謝罪などしても無意味だと叩かれている時に悟ったからだ。
 しばらくそこでじっとしていると、玄関の扉が開かれる。母が開けてくれたのだ。
叩かれ、突き飛ばされている間は助けもしない母は憐れむような目を向けて必ずこう言う。
「パパに謝ってきなさい」
母の言うがままに、不機嫌そうに酒を飲んでいる父に対して頭を床につけた。それから掠れた声で言う。
「ごめんなさい」
この謝罪に対して帰ってくる言葉はなく、咀嚼音と酒を注ぐ音だけが耳にのし掛かる。父の無言が全てを表している。
私は、こうして父が無言でいる時は「お前にかける言葉はない」という意味があると解釈しており、私の方も言葉をかけることはなく、ただ静かに離れるのだ。
さて、これを読んでいるあなたには理解出来るだろうか。大柄で格闘技の心得がある人間が怒りのままに暴力を振るう、これがどれほど恐ろしいか。
未就学児に痕が残りにくい方法で的確に暴力を振るう、これは虐待と言っても過言ではないのではなかろうか。
父が躾だ教育だと言っていたこの行為は、本当に躾や教育なのだろうか。

 私が小学生になる頃、父は家族で一緒に食卓を囲むことを止めた。
原因は子供2人と母にあるのだと言う。(どこまでも末子には甘いらしい)
食べるのが遅い、私語がある、食べ物をこぼす、などと言ったものが父の怒りに触れたらしい。母に対する怒りはそれを教育出来ていないことと食事が不味いこと。
 それから母は食事を作る回数が減り、仕事の時間を増やした。面と向かって不味いと言われ、食事をひっくり返されればそうなるのも仕方がない。
 確かに、母の作る食事はお世辞にも美味しいとは言い難い。野菜は生焼け、肉は焼きすぎて固く、時にはコバエやアリなどの虫が蠢いている。味付けも薄すぎたり程よく薄かったりと様々で、よく言えば素材の味が生きているものばかりだ。
 とは言え、少しの手伝いもせず食費も出さずに文句を言う父は間違っていると思う。
 それからはレトルト食品とカップ麺が棚や引き出しに並び、冷蔵庫は酒を冷やす容器となっていった。鍋やフライパンは仕舞い込まれ、ヤカンが常にコンロの上に置かれていた。
カップ麺やレトルト食品をあとは食べるだけの状態にし、それをおぼんに乗せて父の部屋まで運ぶ。それが我が家の新しい食事風景だ。
私は父以外の家族と父が好きなもの以外を食べていた。そのお陰でカップ焼きそばはあまり馴染みのない、特別なものという印象を持った。

 たまに祖父母から野菜などが送られてくるが、調理する者がいない為にどんどん腐っていくばかり。
謝罪の言葉を並べながら野菜だったものを捨てては罪悪感に包まれ、お湯を沸かすのだった。
 それからしばらくして私が料理を出来るようになり、野菜は捨てずに家族で食べられるようになった。その代わり、私は外で遊べなくなったが野菜を粗末にするよりは良いのかも知れない。これ以降のことは前にも書いている事柄である為、省略させてもらう。

 怒らせなければ家でも穏やかな父、近くに祖父母や他人がいれば優しい父、しかし少しでも不機嫌になれば……今も変わらない。

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