さて、身の上話は粗方語り尽くしたのでは、と思われるかもしえないがまだある。これがどの家庭でも世間的に見ても普通の事ならば、私は生きることそのものが向いていないのだと思う。
 それでも今生きているのは、そんな理由で命を手放す事が馬鹿らしいと思えているからである。

 そんな私でも死を選ぼうとした時があった。高校に入学して最初の夏休み、私は全てを投げ出したくなったのだ。
自分の進路や将来に希望を見出だせなかった私は、なし崩しのように母の母校である私立女子高を受験し合格した。成績はどちらかと言えば悪い方だったのだが、面接を偶然にも母が在学中にいた教員が担当した為か合格出来たのだ。
 しかし、合格したからと言ってそれでおしまい、順風満帆な青春が始まるわけではない。
高校からはバス通学となったので、起床から家を出るまでに時間の余裕がほぼ無くなった。これまで作っていた弁当の数に自分の分も追加され、家を出る時間もこれまでより1時間早くなったのだ。
 作るものが増えればそれだけ時間がかかるもので、女子校でそれなりのグループに属するには可愛らしいお弁当は必須だった。ただ量を詰めるだけの父の弁当とは訳が違う。
 あまり裕福ではないなりに彩り豊かな弁当を心がける内に、身支度がやや疎かになったり忘れ物をするようになった。高校生で初めて部活動をしてみたものの、夕方5時には家に着く為に慌ただしい下校だったと思う。
 部活終わりで遊びに行く先輩の誘いも断り、薄暗くなっていく空を追いかけるように帰宅した。玄関の扉を開ければすぐに父が立っており、よくこんな事を言っていたのを覚えている。
「やっと帰ってきた」
「早く夕飯作って」
その苛立ち気味な言葉に対して、私は謝罪しか吐き出せなかった。
 それから急いで部屋に駆け込み、鞄を下ろして制服から着替える。それから座る暇もなく台所に向かうと、カウンターの上に置かれている弁当袋。
もちろん、弁当袋の中には空になった弁当箱が入れられている。せめて水に浸けていてほしかった、袋から出してくれるだけでも良かった。

どれも現実には叶わない願望だ。

 暗い気持ちを圧し殺し、手の痛みも堪えて夕食を作る。
この頃にはもう調理そのものにも慣れていたが、米を研ぐ度に真っ赤になる手で包丁を握るのには慣れなかった。今はもう慣れてしまったが。
 そうして、作った夕食を最初に出すのは父でそれから他の家族なのだが、熱い食事を出すとすぐに怒鳴られた。一番理不尽だと思った父の怒りは、味噌汁の量が一口分少ないというものだ。未だに納得はしていないが、その場は謝罪しそれらしい量を注いで許された。
あと、鶏ガラスープを出した時に言われた事も理不尽だと思う。
「油が浮いてる!」
「二度と作るな!」
この時はスープだけ残された。父に対して関心が薄くなったのもこの頃だったのではなかろうか。
 このような事があっても母は夜にドライブへ誘い、延々と愚痴を続ける。当時は確か、今とは別のマルチ商法にハマっていた頃だったか。
今となってはどうでも良い事だ。

 こういったストレスから寝不足が続き、眠れずに朝を迎えてしまう事も増えた。泣くことが出来ればまだ違ったのだろうが、感情を吐き出す事を禁止される事の多かった私には出来なかった。
あらゆる感情を押し潰して、隠し通して……誰にも迷惑掛けないよう、邪魔にならないように生きていた。
いや、生かされていただけなのかも知れない。
 拷問のように『殺す為ではなく、痛みを負わせる為』という表現の方がしっくりくるのだ。
しかし、まだこの状況を受け入れられる、まだ大丈夫だと言い聞かせていた私だったが肉体は限界を迎えようとしていたのである。
日に日に酷くなる頭痛で寝不足が続いてコーヒーを常飲するようになり、食欲もほとんどなくなっていた。
それでも家の事と学校の事を両立させなければならないが、ストレスは積み重なる一方。当然ながら成績も悪くなり、職員室に呼び出されては教員に酷く一方的に注意されたのをよく覚えている。
「遊んでばかりいないで勉強しろ」
「こんな事も出来ないようでは社会に出れない」
遊んでいる暇などほとんどない。私の事を知りもしない人間の言葉など妄言に等しい。
 そうして迎えた夏休み、部活があったので休みという休みは得られなかった。この頃の記憶はほとんどない。
ただ1日を滞りなく終わらせる毎日、私の感情など関係ない生活になっていた。まるで少しでも粗相をすれば、すぐ後ろに構えられた鋭利な刃物で首を刈り取られるような心地だったのは覚えている。
 普通に生きていて拷問紛いの気分に陥るとは、正常とは程遠い証拠ではないだろうか。文字通り生きた心地などない。


 そして訪れた夏休みが終わる日、私の中で無理矢理張っていた真っ直ぐな糸が切れてしまった。音もなく切れたそれは、きっと今も結ばれてはいないだろう。

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