前回は主に父に関する事が多かったので、今回は母に関する事を書こうと思う。
まだ前回の分を読んでいないという方は読みたかったらで構わない。この物語たちの1つずつに話の繋がりも読むべき順序もないからだ。
内容は暗く明るい部分などない為、ご自身の精神面に気を付けてほしい。

 私の母には決まった口癖がある。
「ママのようにしなさい」
「ママの子なら出来て当然でしょ」
と、いうものだ。これを一番古い記憶では幼稚園に入る前後から言われていたものである。
 これは少なくとも日に5回はそれぞれ聞く言葉で、特に後者は私が何かしらの結果(勉強や工作、賞状など)を報告した際に必ず言われた言葉だ。
私が何かしら行動し出した結果に関わらず、母の言うことは変わらないか批判が始まる。ここで言う批判というのは、失敗した事に対してではなく成功した事に対してである。
 具体的に言うと、私が夕食に出した特別美味しく出来た食事に対して、目につくところがあればそれら全てを批判するのだ。(この食材は今日使ってほしくなかった、野菜はこの切り方じゃない方が好きなど)
しかし、その批判した口でこう言うのだ。
「あなたが家にいてくれるからママはお仕事出来るの、ありがとう」
私が高校卒業後に進学か就職かで迷っていた際、母が提示した条件は『これまでと同様に家の事をすること』だった。
 前回に書いた通り、家族の朝食や父の弁当は勿論、休日なら昼食の準備、夕食は夕方6時までに作り終えるのが毎日の決まりとなっている。それを大学や専門学校、またはどこかに就職しても続けなければならないのだ。
 そのどちらもこなす事は難しいと判断した為、これまで細々と行っていたハンドメイド作家としての道を選ばざるを得なくなった。それでも収益の8割は母に渡さなければならないので、今の私にとって自由という言葉はかなり遠くにある。

 正直なところ、母のこの口癖に関して私はまだ明確な違和感を持っていない。だが、友人とその親の会話を聞く度に私と母とは全く違う関係性に思え、他の家庭ではこうなのかと大きな違いを見せつけられたようだった。
 だが、他所の母親は母と私の関係が羨ましいのだと母は自慢気に語っていた。
 母が喉が渇いたと言えば好きな甘さの紅茶や冷たい麦茶を出し、月に何度かはそれに合わせたお菓子を作る。帰宅すれば可愛らしい食器に夕食を出し、家で仕事をしていればコーヒーを淹れる。
休日には母好みの可愛らしいレースとリボンの服を着せて、お洒落な喫茶店で二人でお茶をする。
 以上が私と母の日常なのだが、私の献身的なまでの奉仕は母から何度も躾られて身に付けたもので、そうしなければ母がヒステリックに喚くと知っての行動だ。
 だからもし、上記のような事を自分の子供にしてほしければ、私の母のように『どうして私の感情を察してくれないの』や『なぜ私に構ってくれないの』と喚けばしてくれるかもしれない。
それも成功する確率は酷く低いだろうし、客観的に見て異常者にしか見えない為おすすめはしないが。

 母がよくする事として、夜のドライブがある。
宗教施設にお務め(読経)をしに行く事もあるが、夜間に私を連れて出掛けたがるのは決まって愚痴を聞かされる時だ。
「ねぇ、少し時間ある?」
普段よりかなり控えめな言葉使いでそう聞いてくる時は、こちらに拒否権はないに等しい。
と言うのも、ここで同行を拒否すれば「私の事なんてどうでも良いのね」や「私より○□が大事なのね」などと言い始めるのだ。まさに悲劇のヒロインを演じるが如く、目の前に居座り続ける。
 これに同行するのは母に対する同情や親孝行の一環というより、どっちにせよ作業が進まないなら気分転換に外出しようという心持ちの方が主だ。
 そして、車に乗ってドアが閉じた瞬間から母の愚痴は始まる。
 愚痴の内容は仕事での事や友人関係から始まって、●●さんがお金を返してくれないだの祖母がテレビ通販や訪問販売を注文しただのまで広がる。前に聞いた事を再び掘り返したり、同日のドライブで同じ愚痴を数度聞くこともある。
 母が愚痴を言っている間、ただ聞いているだけでなく適切な相槌や返答をしなければならない。ヒステリックにでもなって交通事故にでもなれば、大怪我を負うリスクが高いのは助手席の私なのだ。
 最近はまた新しく始めたマルチ商法の勧誘が上手くいってたりいかなかったりという話や、祖母のせん妄がまた出ないかどうかの事が多い。
これを書いている今は違うが、これから母が帰ってきた時にドライブを提案されないか不安である。
 今日は具合が悪かった事にして、早々に布団へ潜ってしまおうかと思案しているところだ。

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