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 このNoteを始めて1年が経ったらしい。
更新頻度も低く、内容も暗く胸くその悪いものである為、読者諸兄らには謝罪の念しかない。
ただ愚痴を書き連ねるのも味がないとして、こうして私小説という形で書いている。それでも読了後の後味の悪さは拭い去れないだろう。
重ねて謝罪する。

 さて、半年前に書いた通り、私の新年は最低なものだった。
言うまでもない地獄のような内容である為に改めて書きはしないが、気になるなら前回のものを読んでくれればいい。推奨はしない。
 あれから半年が過ぎ、実に色々な事があった。
数えきれない程に悪い事が起こり、菓子のおまけのようにささやかな良い事が起きた半年間だった。

 一つずつ消化していこう。

 まずは両親との関係。
 父とは少しの変化があった。とは言え、関わり方は以前と変わらない。
これまで強い言葉を使っていた父だが、ここ数ヵ月で柔らかい言葉を使うようになった。いや、猫撫で声を使うようになった。
子供が甘える時のような声。どこか遠慮しているような、かといって自分の意思は絶対に通したい。そんな声色だ。
 近頃の情勢で自宅勤務が増えた父に対し、昼食の有無を訊ねるのが日常になって久しい。
最近は調理中に台所を覗きに来ては、爛々とした目で黙って見つめてくる。それに対して私が「食べますか?」と訊ねれば、父はこう返答する。

「うん!」

自分で作って食べればいいものを。それは胸中にだけ留めている。
子供のように催促しては運ばれてくるのを自室で待つ父に、当然のように食べた食器を戻さない父に。
それら全てに、反吐が出る。
私が浅慮なのか、あるいは器量が狭いのか。実の父親だと思って接すれば接するほど嫌悪し、他人だと思えば心を無にして接する事ができる。

 次に母との事を書こう。
仕事で家を空ける事が増え、1週間顔を見ない事も当たり前の事となった。とは言え、食事を用意しないと怒られる事もあり、日々の苦労は変わらない。
唐突に帰ってきては二人分の夕食を催促される。それが常だ。
 そこに加えて、母とは大きな溝ができた。母には溝が見えていないようだが。
 端的に言えば、私のハンドメイド作品を母がネット販売する事となった。しかも販売サイトはメルカリで、口座は母名義のもので登録された。
これまでは売り上げを手数料のように徴収していたのを、今度は全て持っていこうというのだ。
 その為、これまで作ってきたものは全て在庫扱いとなり、私個人が取引できるものはなくなった。この時ばかりは実家暮らしでよかったと思った。
先述した通り、母はこれを「当然な事」として何も問題だとは思っていない。
これらを経ても母は「私の宝物」と私を呼ぶのだから、それが「親としての愛」からくるものではないように思える。正常な愛はないのか、と。
これもまた私が悪い、こんな事を不満に思うなんて親不幸者だと言われればそれまでなのだが。
 
 以上がここ最近の両親だ。
細かい部分やプライベートな面にも目を当てれば、この両親に対する私の憎悪が伝わるだろうか。苦労の多いであろう読者諸兄らを害さない為に書きはしないが。


 一方で祖母とは徹底して会っていない。
感染対策という観点から、持病のある高齢者とは必要以上に接触してはいけない。というのを言い訳に、会うのを拒否している。
 とは言え、毎日病院から帰宅後に電話をかけてきたり、母から嫌でも話を聞かされる。
病院や政治の文句、ありもしない妄言と聞くに耐えない偏見と侮蔑。食事の文句とそれに反して旺盛な食欲。
極めつけは母が祖母を宥めるのに使う「あなたの弟子が作ったのよ」という言葉。
それを聞くと祖母はにたりと笑い、よく食べるのだそうだ。
 季節がらきゅうりの酢の物を大量に作るのだが、それもあっという間に食べてしまうのだという。1週間は食べれるであろう量を一晩で、だ。
それが原因で某かの数値が増えていると担当医に注意されても「私は悪くない」と言って聞かない。そして新たに病院の文句を言うのだろう。
 直接話さなくなっても祖母に対する嫌悪の意思は変わらない、むしろ増した。
今の祖母と会ってこれまで通りに「優しい孫」として接する自信はない。実際に会えばできてしまうのだろうが。

 以上だ。
半年の間に起きた事をささやかながら簡単に書き綴った。
いっそ本当に他人ならこれ程苦しまずにいられただろうか。
この人たちと自分は全く無関係だと断じられれば、線引きできれば、自分も同じ穴の狢だと呪わずに済んだだろうか。

そう考えている内に大人になってしまった。答えは未だ見つからない。

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