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ブラインドサッカーレジェンドおっちー選手の引退試合を応援する

 あの、唐突ですが、就職決まりました。12月からオフィスワーカーに戻ります。noteで散々ご心配かけましたので先ずはご報告いたします。見守ってくださった皆様、本当にありがとうございました。就職のことは改めて書こうと思います。今回、急ぎの件を先に書かせてください。

 さて、ブラインドサッカーをご存知ですか。

 東京パラリンピックでは視覚障害者の「5人制サッカー」というのが正式な競技名称でした。視覚障害の選手がアイマスクをして晴眼者のキーパーを含めた5人で行う競技です。パラリンピックの時、NHKの放送でご覧になった方も多かったと思います。パラリンピックを前に現役生活に終止符を打った日本ブラインドサッカーのレジェンド、おっちーさんこと落合啓士選手の引退試合のクラウドファンディングを応援したいと思い、個人的な推薦文を書いてみます。

私とブラインドサッカー

 一番初めに観たのは、かなり早い時期でした。おそらく2013年。日本代表が埼玉のどこかでスペイン代表を招いて強化試合をした時、サッカーの取材をする夫について観に行きました。初めて海外の強豪チームを呼んでの試合だったと思います。日本に初めて来たスペインチームの選手たちにどこか観光に行きたいところある?と聞いたら「春日部」。スペインで放映されて人気の『クレヨンしんちゃん』の舞台に行きたい、というのが彼らのリクエストだったと聞いて爆笑しました。

 当時のブラサカ協会の理事長だった、釜本美佐子さん(メキシコオリンピックの釜本邦茂氏のお姉様ですね)が同行者の方に「ブラインドサッカーが初めて日本に入ってきた頃は、スペイン語の 「Voy !(ボイ)」の代わりに「まいど! まいど!」って言いながらやっていたのよ、大阪のチームだったから」なんて話していらしたのを耳をダンボにして聴いていました。前の選手の肩に手を置き、選手が一列に連なって入場する姿がとても印象に残りました。

 その後、日本ブラインドサッカー協会は次々と国際大会や国内選手権を開催し、みるみるうちに「ブラインドサッカー」は社会的に認知されサッカーファンの間にも広まりました。その頃の日本代表のキャプテンが、おっちーさん。ブラインドサッカー人気の拡大を牽引したのは、明るくて負けん気の強い、発信力の強いおっちーさんのキャラクターによるところは大きかったと思います。

サッカーファンの友達がどんどんブラサカ関係者になっていく

 Jリーグサポの友達、東北支援のボランティアに行くサッカーの仲間たち、そういった友人たちが徐々にブラサカに注目し始めました。一度試合を観ると、その迫力に驚かされます。フットサルコートサイズのピッチの周りに巡らされたボードに選手がぶつかってくる、選手同士がぶつかり合う、格闘技的な迫力。「見えていないのにそんなに全力で走るの??」という驚きと共に、まだパラリンピックに出場したことのない日本代表を後押ししたい、というサポーター魂を惹きつけたのではないでしょうか。

 クラブ選手権を観に行くと「あれ? ゴールの後ろでコーラー(晴眼者の、ゴールの位置やシュートのタイミングを指図するチームスタッフ)をやっているのは、東北で一緒にボランティアをやった友達?」ということがありました。そのほかにもあら?? 大阪に住む、一緒に東北で屋台村をやったあの方もブラサカチームの活動をFacebookに上げている。あれれ? あの審判は、おしゃべりしたことのあるブラサカ協会の中の人!!

 2014〜15年頃だと思います。パラリンピック向けに競技としての強化を図りつつ、ブラインドサッカーは視覚に障害を持つひとと社会の関わりかたをどんどん発信していました。

 東北ボランティアは、サッカー日本代表の応援で知られるちょんまげ隊長ツンさんに誘われて参加したのが始まりでした。その中で、東京からボランティアバスを仕立てて(旅行会社勤務とかではないのに!)、地元のスーパーに食材を頼んで地域の経済を廻しつつ、子供達に屋台村で楽しい時間を提供するすごい女性がいました。しかも若い。勇気と行動力にほれぼれしました。こういう人は私の周りにいなかったなあ、とすっかりファンになっていました。

 彼女があるときから、よくブラインドサッカーの試合を応援に行くようになりました。熱心に通っているな〜と思ったら、韓国遠征まで。さすがに「これは?!」と思っていたら、選手と付き合っていたんですね。今のおっちー夫人です。別々に知り合いになっていたお二人が結婚することになった。それぞれとても素敵な人だと思っていたので「さすがにお目が高い!!」と嬉しくなりました。東北の支援を継続的に行っていたお二人は、結婚式を福島のレストランで挙げ、東京からたくさんのサポーター仲間が駆けつけて地元の新聞にも掲載されました。

おっちーさんに勝手に救われた話

 おっちーさんは音声メディアのVoicyで毎日発信を続けています。「幸せ伝染ラジオ」と銘打ってあり、心理カウンセラーの資格を持つおっちーさんが、毎日を機嫌良く前向きに過ごすための様々な話を語っています。

 私は昨年の12月にコロナリストラで仕事を辞めることになったのですが、その前はかなり仕事がキツくて、周りの人に協力してもらえず一人だけ仕事量が集まったり、そのうえ社外ディレクターからの叱責を一人で受けなくちゃいけなかったり。オリンピックに向けて夜も灯をつけて建設が進む国立競技場の脇を、残業帰りに心の中でちくしょう、ちくしょう、と唱えながら歩いていました。嫌ですねえ。

 それでも翌朝また会社に行くわけですが、駅から約15分の職場への道のりをVoicyを聴きながら歩くのを日課にしていました。おっちーさんの毎日の締めの挨拶、「いってらっしゃーい、バイバーイ!」という声に背中を押してもらって、通勤していました。気のいい友達のぞんざいな思いやりみたいな感覚を、その言葉から受け取っていました。

 仕事を辞めてからも、再就職の方向が定まらない不安の中、落ち込まないように気をつける上で、毎日のVoicyは心強い味方でした。

「共生社会を目指す」という引退試合の趣旨に賛同します

 さて。ブラインドサッカーという競技を日本で認知させた功績を持ちながら、日本の初めてのパラリンピック出場のピッチに立つことのなかったおっちーさんの引退試合。もちろん、競技として、選手としてのリスペクトは最大級のものがあります。

 しかし、この引退試合はそういった過去の功績を称えるだけではなく、今後、障害を持った人とそうでない人の共生社会を作る、という未来に向けたメッセージが込められています。視覚障害を持つ子供たちにも観にきて欲しい。そうでない子供たちにもアイマスクして体験会に参加してほしい。

 日本初のブラインドサッカー選手の引退試合、日本初のブラインドサッカーチームの全盲監督、と「日本初」の肩書きにこだわるのは、後に続きたいという視覚障害の子供たちの選択肢を増やしたいからだそう。

 パラリンピックで興味を持った方達にリーグ戦を観に来てもらいたいけれど、コロナのため今年のリーグ戦は無観客です。今シーズン、ブラサカを実体験できる唯一の機会です。パラリンピックに出場した川村怜選手、キーパーの佐藤大介選手も参加予定と聞いています。他にも元Jリーガーなど豪華ゲストが予定されているそうです。今後の発表を注目しておいて下さい。

 当日はクリスマスイブなので参加できない、という方にも千円からの支援コースがあります。裕福な方は、おっちーさんが講演会に来て貰える11万円コースもありますよ!大会ユニフォーム付き、など様々なリターンが用意されているのでクラファンページを覗いてみて下さいね。お金をかけたく無い方は、クラウドファンディングページのハートマークを押すだけでも後押しになるそうですので是非ご協力下さい。重ねてお願いいたします。

 以前少し書きましたが、視覚障害者の同行援護の資格を取りました。おっちーさん繋がりのおかげです。結果的にそのことが今回の就職に繋がりました。そういった個人的な恩返し、それにサッカーファンとして日本のブラインドサッカーの発展に大きく寄与したおっちーさんの引退試合の成功を心から願ってやみません。どうぞ、少しの関心を持っていただけたら、ご支援をお願いしたいと思います。クラウドファンディングの終了は12月12日。意外と期間が短いのです。

最後におっちーさんのyoutubeのリンクも貼っておきます。目が見えない人はどうやって移動しているのか?などが観ているとわかります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。次回は、就職が決まるまでの話を報告したいと思います。

 


 

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