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隠れギフテッドの存在 ~もしかしたらあなたも?

息子のことを、親しい友人や学校の先生にオープンに相談できるのは、とってもありがたいことだと思っている。

息子の性質は、ある程度私から受け継がれたものだろう。彼の話をしていると「これって、私じゃん!」と感じてしまうことが多い。
たとえば・・・

 人の話を(興味ない時は)聞いていない
 自分の興味あるテーマに深くのめり込む
 会話がズレていることに、自分だけ気が付かない
 我慢が効かず、疲れやすい  ・・・etc.

わたし自身、数々の失敗・傷を負って、「そのままの自分」でいられる環境を整えてきた。最初は夫ひとりだった理解者が、家族・友人と少しずつ増えていき、そして今もつながれる仲間を探している。

もし自分が、「周囲の目」を極端に気にしていたら、息子のことは家族以外の誰にも相談しないでおいただろう。

そうやって、隠されてしまうギフテッドが、日本にはあふれている。
「ちょっと目立つ子」「頭のいい子」「偏った子」・・・彼らは全人口の2%の割合でいるというから、1学年にひとりふたりはいるはず。

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だけど賢い彼らは、周りに「擬態」する技能を習得するので、余計に分かりづらくなる。(うちの息子は、そういった技能をまるで持ち合わせていないため、発見しやすかった)。

そして、ある段階にくると本人が「自分は普通です」と言い張って、天与の資質を認めようとしなくなる。だって、その方が、ラクだもの。

日本では、発達の遅れを自己開示するより、進み過ぎていることを開示する方が難しい。人から「あの子って変わってる」と言われ続け、そのことに心理的ダメージを受けてきた人なら、なおさらだろう。よほど周りから受け入れてもらえる経験を積まないと、自分から「ギフテッドです」とはいいにくい。

これが「スポーツの能力」とか「音楽の才能」とかなら、わかりやすく人に受け入れてもらえる。サカナくんだって、魚道を探求しつづけた結果、だれもが認める博士だ。そうなれる可能性があるのに、「変わってる」と言われるのを避け、ことさら自分を目立たなくさせようとするなんて。

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ただ、私にも経験がある。人から誤解されること、線をひかれること。
あなたとは分かり合えません、境界線を踏み越えてこないでね、というようなサインを出されると、それ以上前へ進むのがこわくなるのだ。

相手にとっても怖いのかもしれないね。枠からたやすくはみ出してくる人間の、一種の図々しさ。強い個性が見え隠れする時、それが「圧」として映るのかもしれない。

だったらお互い、怖がってないでさらけ出そうよ!と言いたいところですが・・・「いえいえ遠慮します」って線をひかれちゃうのかもなあ。

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