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「1対n」と「1対1×n」

この間の休日、2歳半むすことふたりで散歩。
いつもなら父ちゃんと行く皮膚科に「おかあさんとがいい」と同伴ご指名だったり、コピーのためにコンビニまで行こうとしたら「いっしょにいく」とついてきたり。

普段お姉に色々先導されたり煽動されたりしている2歳弟だけれど、大人みたいに会話のキャッチボールが成り立ち、謎のストライキや甘えも繰り出さず。「個」を静かに主張する感じが、新鮮だった。あれ、こんなことできるようになってたんだな。

「1対1」は自然発生するものじゃない

こどもは二人、母ちゃん一人。平日毎日ワンオペ。
メスとオス、戦友と恋人、性格も全く違うし当たり前に別の生き物だけど、まだ二人とも保育園児=ひとりにしておけない、そして、土日は家族みんなで過ごしたい。ということもあり、どちらかと1対1の時間は、自然発生はしない、というか、ほぼゼロだ。

結果、おとなの都合でふたりとコミュニケーションしてるなぁということが、増えてきたように思う。

「1対1」の持つ力

仕事でも同じだ。意識して「1対1」の場を作らない限り、自然発生はしない。

いつもたくさんの示唆をくださる、Yahoo!の伊藤羊一さんが、マネジャーとメンバーの関係についてこう話していた。

1対1で聞かないと出てこないこと、コミュニケーションしないといけないことがある。同時にそこでフォローしないといけないことも。それがマネジャーに求められています。
「誰かに話す、話したい」ニーズがメンバー側にもある。話してみて考えることを促し、自分で気づいて実行することを習慣にすると、成果やキャリアアップにつながっていく。マネジメントの立場からメンバーに声をかけて、このサイクルを回す。それでいいんだよと言ってあげることが大事。
実践1on1ミーティング・トレーニングワークショップ記事より抜粋)

Yahoo!では、週1回30分程度、代表取締役を含む全員が「1対1」の場を持っているのだそう。マネジャーがメンバーを管理する情報を得るのではなく、「メンバーの話に耳を傾けることを通して、目標達成と成長を支援する場」として。

親子の関係はマネジャーとメンバーではないけれども、似ている。ここで思ったのは、大人でさえも、「1対1」の場が持つ力は大きいということ。

現状:「1対n」または「逆1対n」

下の子が生まれるまでひとりっ子だった長女は、
わたしを母にしてくれた大好きな戦友。
繊細で多感で慎重でチャーミングな頑張り屋さん、
だから、意識的に「1対1」で相対する時間をつくりたいし、それはわたしのためでもあった。

が…最近の頻出パターンは二つだ。

①ふたりまとめてひとくくりパターン
②長女を“こっち側”にしちゃうパターン

①は例えば2人が盛り上がって大騒ぎ、ちょっとー、お風呂入るよー!保育園行くよー!的なやつ。よくある。

長女を”こっち側“にする②も時々。。息子が謎のストライキした時に娘を味方につけるというか。○○ちゃんそれやってあげて、的なやつ。例が今ひとつですが、やらないようにしようと思ってるはずの「お姉ちゃん」の役割を求めていることが、結構ある。

「1対n」で失っているもの

当たり前だけど、大人だって、自分を見てほしい、自分の話を聞いてほしい。誰かとひとくくりにされたり、文字通り話半分だったりすれば、いい気分はしない。大切にされていないのか、信頼されていないって感じることも。でも、訳あって今は、という時だって、ある。そこは伝わっていれば不満や不安は軽減される。

子どもだって同じ、はずだ。

大人同士な、目指さないコミュニケーションを、自分の子ども相手にはなぜ気軽にやってしまうんだろう。。

「1対n」を無意識に繰り出していることで、わたしは子どもたちからの信頼を少しずつ減らしているのだ。

「1対1×n」ができる母でありたい

こどもは二人、母ちゃん一人。それって

わたしから見たら、ひとりにふたり
彼らから見たら、ふたりにひとり

な訳じゃない。「彼ら」という主体はなく、それぞれにとってお互いはひとりだ。

ビジネスの1on1と同様に、子どもたちも、2人一緒の時には話さないようなことを教えてくれたり、呟いたりする。姉弟の中にも社会があって無意識にか役割分担のようなものがあるんだけど、「1対1」の場ではそこが取っ払われる

物理的に無理だよね、はもちろんあるけど、心持ちとして「1対1×n」を大事にしたいと思うのだ。わたしにとってもきっとそのほうが幸せの総量が上がるはず。


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