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妊娠と出産、リアル命懸けだったよって話(前編)
身体が大きくて10年以上風邪知らずの健康体だし、2回の出産後はともに0歳で復職してるので、余裕だったのね〜と思われがちなのだけど、全然そんなことなかったって話を書こうと思う。キッカケはこのツイートだ。
出産時死にかけた(らしい)ことを思い出した。
(いやよく見たら2015年の呟きだったのかと今知るが丁寧にお返事くださった。ありがたい)
このnoteを読んで、大変なのかと怯えて欲しいわけではなく、妊娠の数だけ、出産の数だけ異なるエピソードがあって、死に至る確率も低くはなくて、だから私たちは誰もが奇跡の誕生を迎えたんだってことを、いろんな時にいろんな人に思い出して欲しいし、もしパートナーや家族にそのタイミングが来たら、その人はどんな状況なのかを慮って欲しい、というだけだ。
妊娠について(わたしの場合)
我が家は結婚後なかなか授からず、お互い忙しいからと先送りしていた。ある時ご縁あり婦人科ドックを受診。「健康上何も異常ありません」結果にホッとしていたら「だから、妊娠を望むなら検査に行ってください」と。異常ありなら治療から。異常なしで授からないのであれば、なんらか、ここでは見えない何か原因があるよと。
不妊治療のためのクリニックで検査を受け、夫婦の仕事のスケジュールや年齢、かけられるコストなど相談の上で「最初から顕微授精でいきましょう」という方針に。
(※顕微授精については日本生殖医学会HPを参照)
その後は、担当医とこどもたちの頑張りのおかげで、比較的早いタイミングで大変順調に2人の子を授かった。
妊娠中は、倒れたり寝込んだりこそなかったけれど、つわりの時期は毎日吐きながら仕事していた。
職場は全くブラックではないし、上司は妊娠を心から喜んでくれたし、休んでももちろんお咎めもない。妊婦には最高の職場。それでもこうなった理由は、時々やってくる吐き気をトイレにリリースしてしまえば元気だったから、と自ら選んだだけのこと。
まぁこれが妊娠期の難しいところで
・本人のもともとの体質
・つわりの性質(タイミングや期間、内容?)
・それらを複合して、その人にとってどうなのか
↑っていうのは、妊娠の数だけあるからだ。わたしの場合は1回目も2回目も似たような状態だったし、子どもの頃から乗り物酔いで吐き慣れていた?ので、2回目には経験者然としていたけど、まぁ吐きながら仕事していたことに変わりないんで、別に楽だったとは言えない。
出産について(わたしの場合 1回目)
不妊クリニックの紹介で行ったのは大きな総合病院の産婦人科。そこでは、(母体になんらか問題ある場合除き)計画分娩はしない、あくまで母体と胎児のタイミングでの自然分娩を推進していた。ただし、途中で【和痛分娩(硬膜外麻酔)】を選択した。
・無痛分娩ではない(計画分娩はしない=陣痛が来てからの処置のため)
・麻酔医の勤務タイミングに重なった場合のみ可能
・土日祝の分娩の場合は不可
・何らかの事態で望んでもできない可能性もある
という注釈付き、しかも何枚にも渡る他院での死亡や後遺症事例を渡され、30分ほど面談も。ここまで聞いてもやりますか?と明らかにお勧めしない空気だったが、承諾書にサインした。当日嫌なら断れば良い。
陣痛が1日半を超え、疲労困憊で迎えた土曜日。担当は主治医で麻酔医でもある産科部長だった。助産師長が「やってくれるようお願いしたから」と耳打ちしてくれた。
結果→無事出産するも、もはや陣痛でヘロヘロの上に麻酔で、痛かったかどうかの記憶がない。というのが正直なところ。ついでに、その麻酔のせいかどうか定かでないが、産後半年くらい、片足の親指だけ感覚がなかった(今はある。いつ治ったかわからない)。次回もしあったらお願いしたい/したくないの判断材料足りず。
まあでも、立ち会ってくれた夫と産まれたばかりの娘と3人でゆっくり過ごした後は部屋に戻り、翌日義両親が来てくれた時には廊下をスタスタ歩いていた。
(どこも切らずに産んだので、回復も早かったのだ)
冒頭に「出産時死にかけた」って書いたのに、なんだ余裕だったのか?という話ですが、、事件は4ヶ月後と、2年3ヶ月後(第二子出産時)に起きました。
が、長くなるので、死にかけた話は後編へ。(書き終えたらリンク追記します)
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