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「だってあなたは産んでない」

育休中、たまに読書会をやっていた。課題図書は色々で、もちろん「子育て」をテーマにした本も読んだ。

「見守り」のススメ

ある時、フリーランスの保育士さん二人が書いた

こどもがなにか出来ない!となった時に
すぐに手を出さない
どーんと構えて見守るべし

というくだりがあった。
ここは母たちの中で大きく意見が分かれたポイントだ。

わたしは、うんうんそうだ!と超・賛成派。
一方反対派の意見はこんな感じ。

「出来ないままでは子どもが自己肯定感下がるのでは」
「手を出さずにいて何か事故が起きたら困る」

そうだねそうだよね。
親だって万能じゃない、コンディションも様々で、しかもそんなシチュエーションて限りなく多様に頻発して、いちいちやってられないよね。親だって葛藤してる。

そして、実はこんな意見も多かった。

この人たち産んでもいないのに何がわかるの
リアルにそういう場面になったことないじゃん

見守り賛成派!のわたしの場合

わたしは、子どものやることを待つ、腹を据えて見守る、にあまりイライラしないほうだと思う。自分では意外だったのだけど。

仕事をしていれば、何かや誰か、いや自分にも、イライラしたり、最悪当たったりしたことがよくあるからだ。子育ての日々が始まったら、ままならないものを前にして、一人キャパオーバーで毎日爆発するのかも?なんて思っていた。

保育園の帰り、坂道、寄り道、回り道、なんでもあり。
大人徒歩7分の距離、1時間の大冒険に付き合っている。

※いまは二人なので、もう、さらに。である。

読書会でこれを話した時、信じられないー!と絶叫した友人がいた。もちろん、先の意見でいえば反対派だ。

帰ってからだってやることたくさんあるし効率悪い!
そんなの、自転車乗せちゃえば一瞬なのに!

仕事だったら、効率悪い手作業を懲りずに繰り返す後輩に、同じこと言ったかもしれない。と気づく。
この時にも出てきたのは

「男の子はそうは行かないから!事故起きる!」
「○○ちゃんだから出来るのであって、ウチは無理」

そう言われてしまったら、そうだね、と言うしかないのだけど…

当事者しかわからないってどこかで思っちゃうよね。
なんとなく、自己防衛もしたくなるよね。
だって、毎日我が子に対峙している“わたし”はこんなに大変なんだから…!

そんな心の叫びをうけとめながら、すこし悲しくなる。「産んでないから」の分断だけでなく、男女とか、もはや「我が子の個性」にまで言及するって、分断というか、孤立に向かってしまうんじゃないか…

なぜ「見守り」スタンスで過ごせるか

わたしの場合は、子どもたちと過ごす時間に、彼らの「やりたい」を眺めていること、よりも強く強くどうしてもやりたいことが、今はあまりないからかなーと。

34で結婚して、全くこどもを授からず、このまま大人だけの生活、、も視野に入れつつ37で不妊治療。
(幸いにも色々スムーズで、2人目まで無事に出産)

なので、出産前に、

超・仕事した!(転職も異動も、朝まで働くとかも笑)
超・遊んだ!(ほぼ100%外食し、趣味もやり放題)
超・勉強もした!(MBA取得)

ひと通り満足して今はこう、って事なのかな。と思う。

わたしは、見守り賛成派だけど「推進派」ではない。
正しい間違ってるはなく、やりたいようにやってるだけで、いずれ変わるかもしれない。子どもだって成長していくので、関係性も変化していくわけで。

「見守り」は疲れる

いやでも、腹を据えて「ご自由にどうぞー」は疲れる。
歩いてる時なら、飛び出すんじゃないか。
食事時なら、こぼすんじゃないか。

見守ってることに疲れるのではなく、その後起きるかもしれない惨事を想定して気疲れするのだ。
ご自由に、としてはいるけれど、もちろん、手を離しているだけで、目を離しているわけではないからだ。

だから反対派の友人の気持ちはわかる。疲れるのよ!
母のコンディションがいい時にしか、できまへん!

体験学習みたいなもの

命に関わることじゃなければ、という前提だけど

○○したら、**が起きるかも

って経験はさせておいた方がいいと思ってる。例えば、テーブルの端に牛乳入ったコップを置いてたら、ぶつかってこぼした。自分は濡れるし、牛乳はもう飲めない。そして、牛乳こぼした後の服は、臭くなる。とかとか。

当然、親としては後工程が増えるから、こぼさないほうがいいと思うかもしれないけれど。

実際起きたら、どうするか

体験学習させるのは、後工程が発生する心算を持って、時間も気持ちも余裕のあるときだけ。でいい。

例えばふざけててぶつかり、牛乳をこぼした場合

ほらこぼしたじゃない!何やってんの!

と怒鳴りつけるよりは、

あらーこぼれたね!大丈夫?
お洋服も床も濡れちゃったね
こぼしちゃったら、もう入ってないね

と、1つずつ事実を伝える。びっくりして泣いていれば、落ち着いてから、次はどうしたらいい?を話し合う。2歳くらいになれば、この対話はできるし、伝わっている。(もちろん、成長過程において個体差はある)

**

もし外でランチ中に友達がコップを倒したら、まず「大丈夫?濡れてない?」ってなるのに、家で我が子だと
”ふざけてた”方に目がいって「何やってんのー」って怒声を浴びせてしまう
(だからこぼされたくない、に戻ってしまうのだけど)

大人だってこぼすことがある、ましてや身体機能も知能も発達途中の子どもであり、ふざけたいこともあるだろな、ダメってわかってることもあるかも。
でもほんとは濡れちゃってしょんぼりしたよね、とか、寄り添ってあげられるといいな、と思ってる。
(なかなか、出来ないけど)

たくさんの手を受け容れるために

幼いうちは、健やかな身体と心をつくるサポート、が第一。具体的に興味あることは、食、姿勢、言葉の獲得。得意分野はそれなりに試行錯誤しつつ、不得意分野は専門家に頼っている。

そのときに、
あなたはやってないからわからない、ではなく、いったん自分の現状や経験を傍において、受け容れたい。

わたしの正しさや頑張りを肯定してもらうこと、じゃなくて、子どもたちの健やかな身体と心をつくるサポートのために、がゴールだから。わたしの小さなこだわりやプライドでそのゴールを目指せなくなるなんて嫌だ。

「だってあなたは産んでない」って思ってしまったら、自分も追い詰めるし、もしかしたら、パートナーや、共に働く仲間にも、その気持ちは伝わってしまう。そのカードを出されたら、相手は口を閉ざすしかなくなる。

こどもを育てていくことって、たくさんのサポートが必要だから、自分から断絶しちゃうのはもったいない!

※トップ画像は、1月にうかがった森美術館「STARS展」の奈良美智さんの作品から。見守られたい!

皆さんからのサポートは、子どもたちと新しい体験をしたり、新たな学びのために使わせていただきます。