見出し画像

私のものじゃない感覚

 以前言った通り、私はすきな人の変化に耐えられない。今まで私とぴったりと合っていたり、たまに合わない部分があったりする人がボタンのかけ違いのように、だんだんズレていく感覚。私のものではないのは最初からわかっていても、私のものじゃなくなる感覚。心が離れてゆく。
 そんなとき、私はどうしても繋ぎ止めたくて、強い言葉で側におこうとする。でもそれは相手からしたら暴論で、今までだったら共有していた感覚が、途端に何を言ってるのかわからなくなったりする。

 今まで感じてきた感情、いろいろあるけど、これ、結構ダントツで辛い。全然涙とかでる。しかも今回の場合、変わりゆくだろうなって思ってた。だから最初から、嫌だって言ったんだけどな。けどそこに従うかどうかの感覚が、まずまず合ってなかったってことなんだろうな。今まで見えていなかった感覚が、可視化されたことでズレて見えるだけなんだろうな。元々存在していたんだ。

 辛い時に、辛いと伝えられる相手を、また1人失う。私は蓄積していく。いずれは、蓄積したものに潰されてしぬんだろうな。大切なものはたくさん持つことができない。だから大切なのだし、そこは納得できる。今までの私は、できるだけ、持てるだけ持ちたくて、抱え込むようにしていた。そしたらそのうち、抱え込んだ内側は抜け、形骸化していた。

 手段が目的に、って全くピンときてなかったけど、今回の件はそれにぴったりだと思った。今まで楽しいからやっていたことが、目標に達するための踏み台にされる感じ。そんなんで人生楽しい?とかいうとんでもない感情論にはなってしまうんだけど、そんなんで人生楽しい?

 少なくとも、私は、私なりにその選択をどうしてもしたくなかった。逃げている選択とも取れるかもしれないけど、逃げない方がバカだと思うぜ。選択肢の中にあるのに、それを取らないことで成功の可能性は減るんだよ。
 別にその選択が悪いって言ってるわけじゃなくて、それをしないと、しないとって焦ってる姿が滑稽で辞めてほしいって言ってんの。大人に認められるために、大人に使われて、大人のふりをしている姿は、まるで生き急いでるみたいで見ていられない。難しい言葉使って抽象的に説明できることが、なんの役に立つわけ。その抽象的なことを誰にでもわかるようにする作業の方が大切なんじゃないの?

 とはいえ、これは私の選択じゃない。私が経験した上で、これはやめようと思った選択を、選んでいるというだけで、本人にとっては初めての選択をしているだけである。そこにとやかく言うのは、もうやめなきゃいけない、もう大人になるから。
 でもやっぱり、すきな人を1人失うことの喪失感ったら。。1日で人は変われるって、そういう意味じゃないんだよな。変わらない方がいいことだって、変わらなくてもできることだって、たくさんあるのに。なんで人間はそんなに変化を好むんでしょうか。。私ももっと変わった方がいいのかな。ずっと過去にしがみついていないで、全部さようならした方がいいのかな。まあすでにだいぶさようならされている感じはありますがね。

 隣で監視してても、ずっと話していても、その人が誰かの影響を受けることって一瞬で、その瞬間自分が一緒にいなかったことを深く恨めしく思う。今後もきっと、それの連続なんだと思う。下手な恋愛より傷つく。どうしても私のエゴも出てしまうし、それを出さないように自分を押さえつけるしかない。

苦しんでも何も生まれないことは、もう知っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?