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年齢の価値

 年齢を武器にすることは、自分の価値をある程度まで決める作業を自ら行うことだ。若ければ価値がある、と誰かが大きな聲で言ったせいで、若くしてなにかを達成することの方が偉いという認識が世間様の中で生まれている。もちろん、若くしてその境地まで達すること自體すごいし、それがすごいことであると自らを肯定できるのも、すごい。

 史上最年少で誰かが何かを行う度、別のルートでの人間の進化を感じる。どれだけ未来でも、今後100mを8秒台で走る人は現れないだろうし、フィギュアスケートで六回転する人は現れない。けど、今ある記録をより若い人が塗り替える可能性は大いにある。上に行けなかった人間が、下を利用して進化しているって感じ。

 私も最初は調子に乗って、史上最年少!とか、女子高生!とか、時間制限のある価値みたいなのに縋ってやろうと思ってた。まだ17歳なのに、とか言われたいなって思ってた。けど、私は意志の弱い人間なので、そんなの達成することできなく、なにもせずに終わるばかりだった。考えた分、余計な敗北感を得てしまっただけで。。

 それを武器にすることは全く悪いことじゃないし、もう最近はだれがなにをしようが自由だからなと思うようにしているのでいいんだよ、いいんだけど。それでマウントをとるのは違うんじゃないかなって思いますね。いくら人間が足掻こうと、時は前しか向いていないから、どうしようもないことなのに。こっちは歳で戦おうとしていないのに、年下であることを誇らしげに思っている人がたまにいますよね。すごいよ、すごいんだよ。

 年相応のことするってことも、かなり難しいなって日々思わされている、この世界に。それこそ税金とか、普通に家を借りることとか、お金を稼ぐこととか、高校卒業したらもう大人の世界!って感じがするけれど、まだまだついていけないなと思います。割と大人のこと舐めてた、全員尊敬する。

 とにかく私が言いたいのは、年相応のことをしている人たちが、年下で同じことをしているひとに対して劣っているという感情を持たないでほしいってこと。私は小学4年生の時に通い始めた英語塾で、インターン幼稚園上がり小1の英語力に完全に敗北。そこから毎日涙を流しながら通う日々でした。結局小6で英検二級とか取ったけど、自分が英語ができるという感覚は持つことがないまま今に至る。常に自分より年下が、自分より上にいたから。

 まあこれは、私が完全に年功序列に脳を支配されていたから感じてしまっただけかもしれない。私は年功序列というものに、大きく反対はしていない。やっぱり大人はすごいから。大人というだけで、生きていることがすごい。適応しているふりだとしても、適応できていることがすごい。

 私が駄目だと思うのは、自分の力を過信している大人。年下に対して、こいつは年下だからと鷹を括って舐めたりするひと。これはだめです、色んなことにおいて言えることだけど、どんな関係にもリスペクトの精神は必要。上の人は、上である限り下を下に見てはいけないし、下の人は、下である限り下に見られていないことをいいように使ってはいけない。悔しいなら歳を取れ、絶対取れるから。

他の何にも変え難いくらい、揺るぎない事実がそこにはあるから。

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