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七夕とオシラサマのおはなし。 おまけで河童のおはなし。②

 ところで「ひょうたん」はどうなったの? ……と、実はこの杓子、元々はひょうたんから作られていたのです。
 ひょうたんをタテに割ると、細長い首の部分が柄となり下の膨れた胴の部分で水をすくう、あの杓子の形になります。プラスチックや3Dプリンターなど存在しない時代の話ですので、もし木をえぐってくぼみをつけ、おたまの形を作ろうと思ったら、相当の労力と洗練された道具が必要になってしまいます(繊細な加工が可能な鉄の刃物が人類史に登場するのはせいぜい三千年前くらいです)。ひょうたんのあの不思議な形はまさに杓子として利用されるためにあるようなもので、道具として簡単に利用できる植物として古来より重宝されていたことは、世界各地の民俗資料からも明らかになっています。ひょうたんの活用は杓子だけに留まらず、胴の部分を輪切りにすれば簡単に「お椀」になりますし、あるいは水を密閉して運ぶペットボトル的な用途にも使えます。こんな便利な植物はちょっと他に見当たりません。
 ひょうたんの道具としての使用は石器時代から既にあったようです。この植物のルーツがアフリカ大陸に求められることからも、おそらくは人類がアフリカから各地に広がる初期の段階においてこの植物の有用性は認知されており、移住の際にも道具としてのみならず、種子として持ち出されていったと考えられるでしょう。
 ここで「杓子=ひょうたん=女性」というイメージが成立します。杓子を女性に見立てて水を汲む行為が命を生み出す出産と同一視された構図……のさらに原初的な形とは、すなわち「女性の子宮を通じて霊魂(命のもと)が冥界と現世を行き来する」という物語だったのではないでしょうか。古代日本人にとって杓子(=ひょうたん)の空洞性は女性の子宮と相似であり、水とは魂を運ぶための「流れ」でした。彼らにとっての出産とは、冥界から水に流されてきた祖霊を「空洞(子宮=ひょうたん=杓子)」を使って現世に「新たな人間としてすくい上げる」という行為に他なりません。
 京都の一部における民間信仰では、柄杓が壊れたりすると近親者にお産があることの予兆とされたり、あるいは静岡の子安神社では安産祈願として柄杓の底を抜いて奉納するそうです。これはつまり「杓子で汲んだ水が現世に漏れ出すこと=人が産まれること」と考えられていることの名残だと思われます。
 逆に、魂が現世から冥界に帰る際にもやはり杓子が関係していると思われる習俗も各地にみられます。舟幽霊の怪談に登場する「底抜け柄杓」は有名ですし、栃木ではお盆送りの際に柄杓を供えたりする地方があるそうです。また身近な習慣に目を向ければ、我々がお墓参りの際に柄杓でお墓に水をかけることや、或いは神社の境内に入る際に柄杓で手水をすることもこれと関連しているかもしれません。手水場の流れ口には龍の置物が据えられていることがありますが、これはこの水が「川の流れ」であることを表していることなのだそうです。現世と神界を隔てるものが水(川)であり、そこを通過するためには杓子が必要なのだということでしょう。
 ひょうたんとは、冥界と現世を繋ぐ魂の移動手段、つまり「乗り物」だと言えるでしょう。日本の七夕伝承において、主人公がしばしばひょうたんのつるを伝って天界へと上るのは、このイメージが精神の深層にあるからこその表現だと考えられます。

 日本の七夕伝承でひょうたんモチーフが登場するのは、天に上るためのハシゴやあるいは天の川の水源など、主に植物の「瓜」としてですが、しかし天人女房などのお話には、水辺の物語でありながら肝心の水を汲む描写が出てきません。夫と女房の役目が逆になった(夫が天人側で娘が人間側)天稚彦の物語などでも、娘は水辺の小屋で機を織るだけです。しかしこの機を織る行為こそが、杓子で水を汲むことと同じなのだとも考えられるのです。
 天稚彦の物語の前半部を読むと、西洋の民話にみられる「美女と野獣」系のお話と非常によく似ていることがわかります。これは「嫁を差し出せと脅された村長の末娘が怪物の元に赴くと、彼は夜の間だけ人間の王子に戻る絶世の美男子だった」というエピソードで、このタイプの民話では「動物の皮を着る・脱ぐ」という表現がよく出てきたり、あるいは布を使った魔法がしばしば使われます。
 また、鳥に姿を変えられ天に上った兄たちを妹が探すという、天人女房系のグリム童話『六羽の白鳥』では、肌着がマジックアイテムとして繰り返し登場します。ここでも、着る・脱ぐといった動作や、布を織ることに意味が与えられているのがわかります。
 ここでいきなり結論を先に書いてしまいますが、水辺の機織りとは、すなわち祖霊が着るための衣装を準備する巫女の姿なのです。
 祖霊はそのままの姿では現世に現れ出でることが出来ず、まず女性という器に「依って」、そののち出産されて新しく人間としての生を受けます。古代の日本人がこれを杓子による水汲みと同一視したというのは前述のとおりですが、更にもっと古い形は、おそらく西洋の民話との中に共通に見られる部分にあると思われます。すなわちそれが「着る・脱ぐ」という行為であり、そこで着られるのは動物の皮なのです。
 はるか古代には、おそらく祖霊は動物だと考えられていました。人間よりも強く、速く、空高く飛び、数多くの子を産む動物たちの姿を人々は尊敬し崇めました。親や共同体の仲間が死ぬと、その魂は一度動物の世界に還っていき、そしていつかまた共同体に産まれ直して戻ってくる、と彼らは信じたのです。親たちへの尊敬の延長が祖霊への尊敬へと連なり、それが最上級の尊敬を集める動物の姿に重ねられました。冥界に行くことはすなわち動物へと姿を変えること、そう信じた古代の人々は死者を動物の皮に包んで葬送したのです。
 つまり実体の無い「魂」があの世とこの世を行き来する際には、着いた先で具現化するための依り代(着物)が必要とされる、と考えられていたわけです。あの世に行くには動物の皮が、この世に現れるには別の皮が用意されたのです。
 狩猟採集の時代が終わり、動物(の強さへの憧れ)と人間とのつながりが薄れてくると、その思想を根源に残したままで、儀礼に使われていた動物の皮が「服」やあるいは単に身体につけるものに変わり、最終的には布切れになったりします。例えば幽霊が頭につけている三角の布もその一種かもしれません。
 しかしながらそのイメージは心の中に留まり続け、形を変えながらも文化として生き残っていくのです。つまりこれが、巫女が水辺で織る布の正体だったのではないのでしょうか。
 余談ですが、日本の習俗でも、神さまや鬼などがお祭りの日に仮面をつけて現れたりするのは、こういう精神が共同体にもともと存在するからだと考えられます。神様はふだん目に見えない存在ですが、特別の日にだけ村人の前に「仮の姿」を現します。もちろんこれはあくまでも特例な事情(=ハレの日の出来事)なので、お祭りが終れば仮の姿である神様は舞台から姿を消し、仮面はただのお面に戻るわけです。
 棚機で水神を待つ織姫は、祖霊がこの世に顕現するための衣装を織りだす巫女であり、その機能は女性=子宮であって杓子と同じです。日本の七夕伝説や天人女房の物語で、彼らが結婚したのちに子供が生まれるエピソードが多数みられるのは、水神と巫女が結婚して祖霊(神様)の魂がこの世に再生したことを意味しているのです。

(続)